蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

森昌子と時代

時代32、森昌子と劇場(9)

8、帝国劇場(3)帝劇への道 有楽町駅前 有楽町ガード下から帝劇方向 帝劇への道を歩きながら私は考えていました。「音を外してもいい、思い切り叫べ。そうすることで周囲の奇怪さを忘れてしまえ。本題を思い出せ」と言ったのは誰だったのだろうと。アルバム「…

時代31、森昌子と劇場(8)

8、帝国劇場(2) 7周年記念帝劇ライブ盤「熱唱ひとり舞台」 「熱唱ひとり舞台」収録曲 Disc1 1.「オープニング〜春の岬」 2.「下町の青い空〜おかあさん」 3.「北風の朝」 作詞:阿久悠 作曲:新井利昌 4.「面影の君」 作詞:阿久悠 作曲:平尾昌晃 5.…

時代30、森昌子と劇場(7)

8、帝国劇場(1) 1978年「7周年記念特別公演」 (写真「ウィキペディア」より) 通 称: 帝劇 所在地: 東京都千代田区丸の内三丁目1番1号 開 館: 1911年3月1日 客 席: 1階1290席・2階688席 用 途: ミュージカル、演劇 設 計: (現在・二代)谷口吉郎、…

時代29、森昌子と劇場(6)

7、大阪新歌舞伎座(旧) 1976年「5周年記念特別公演」 1977年「特別公演」 旧 ・大阪新歌舞伎座 所在地: 大阪市中央区難波4−3−25 開 館: 1958年10月31日 閉 館: 2009年6月30日 客 席: 1638席(オープン時は1835席) 用 途: 演劇 設 計: 村野藤吾 運 …

時代28、一億本のバラと一億人のためのロック

今は昔 論評を業わいとする賢人ありけり 世に溢れる女書生を憂いてか 若者の傾く姿を嘆いてか 一億総白痴化を虞けり ある頃に 二百億年後の花火を見んと大言壮語する者ありけり 天の河の運命あるを唱え その最後を見んと言うなり その年月の余りに長きが故に…

時代27、振り向けば、時代

時代は 西陽のあたるあの窓に フィルムの中のビートルズに るろうに達の鬢髪に そして、二百億年の果てに 巡り来るのです 振り向けば 窓に西陽があたっていました ビートルズはフィルムの中で歌っていました 町には鬢髪の乱れたるろうに達がいました そして…

時代26、豊川稲荷

高三トリオが高校卒業を記念して植樹を行った豊川稲荷は、本院ではなく赤坂の東京別院であったが、新撰東京名所図会の東京別院の姿を眺めながら、再びその豊川稲荷についてである。周りが大きく変わった中にあって、その山門の形状がほとんど昔のままである…

時代25、森昌子と劇場(5)

6、歌舞伎座1976年「5周年記念」 1986年「ファイナルコンサート」 福地桜痴(源一郎)が千葉勝五郎と謀って、明治22年11月に建設開場したのがこの劇場である。 俗に団、菊、左と呼ばれた九世市川団十郎、五世尾上菊五郎、一世市川左団次が共演してこけら落し…

時代24、森昌子と「南国土佐を後にして」

森昌子が生まれて初めて歌った歌は「南国土佐を後にして」だという。一説によるとそれは1才と7ヶ月の頃と言われ、月を数えると1960年の5月頃になる。 「南国土佐を後にして」はその前年5月にペギー葉山のレコードとして発売されると、またたく間に全国にひ…

時代23、寒い朝と故郷と幸せと

寒いのだけれど、どこか凛とした気持ちにさせてくれるこのナレーションは、当時はごく普通のものだった気がする。しかし今、こうした気持ちにさせてくれる言葉を聞くことは滅多にない。言葉だけでその情景が浮かぶ。言葉だけで気持ちを奮い立たせてくれる。…

時代22、こころ、それは先生(2)

RCサクセションと森昌子の最終回 この明治の精神は「先生」ばかりでなく、漱石にとっても重要な意味を持っていた。漱石はその殆どを明治の時代に生きた人である。前述の先生の言葉「その時私は明治の精神が天皇に始まり天皇に終わったような気がしました。最…

時代21、こころ、それは先生(1)

時代17、18、19の続き、RCサクセションと森昌子の最終回その1 阿久悠は「先生」を「せんせい」と書き直して少女っぽい抒情を感じたと言い、そしてこうした童画風色合いの抒情詩は何とも心もとなく頼りないものであったと言う。しかし、その詞に感じられた少…

時代20、されど豊饒の日々

阿久悠作詞、出門英作曲による「夕子の四季」は、ドラマチックな旋律はないものの、PPMの「パフ」を思い出させる情緒に溢れる作品である。一ヶ所だけインパクトある言葉が使われてはいるが、それもまた愛嬌で、特段の違和感ではない。 平淡な楽曲であるから…

時代19、懐かしの久保講堂

さらにRCサクセションと森昌子。 かって霞ヶ関にあった久保講堂は84年3月に閉館となり、とり壊されて今はない。両者ともここをコンサートの会場としているが、共に思い出深いものであり記念すべきものである。森昌子は初めてのコンサートがここだったし、RC…

時代18、青年の想いと少女の抒情

引き続きRCサクセションと森昌子。 「十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました」 69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。忌野清志郎の母からだった。 「大学へ行っても4年遊ぶんだから、4…

時代17、日比谷野音の昼と夜

駅から吐き出された人の波が段々疎らになると、歩く人は皆同じような格好の若者ばかりになる。そして電柱や建物には革命、粉砕、天誅などの殺伐とした文字が目立ってくる。この若者たちは皆日比谷野音に向っていた。 この夜のフォークとロックのコンサートは…

時代16、過ぎ去りし時の記憶

1973年8月、1万3千トンのさくら丸が横浜港を出航した。この船は“日本一周・ろまんの船”と名付けられていて、女性ばかり7百名が客として、生徒として乗っていた。(中略)横浜を出て西へ向かい、九州の外側を通って門司に入港、そこで一日遊び、日本海を北上…

時代15、過ぎ去りし時の日常

井上陽水と森昌子の第3弾「過ぎ去りし時の日常」のテーマは「祭り」である。井上陽水は「夏まつり」、森昌子は「港のまつり」がその対象となる。 祭りとは祀るの名詞形で本来は神を祀ること。またはその儀式を指すものであったが、漢字の流入により祭り、奉…

時代14、過ぎ去りし時の情景

井上陽水と森昌子の第2弾「過ぎ去りし時の情景」は共に同名の曲名を持つ「少年時代」である。陽水のこの歌は時代の叙事詩であり、時代のスペクタクルでスケールの大きさを感じさせる。儚さや懐かしさばかりでなく力強さも感じさせる。その頃の勇気凛々たる息…

時代13、In my life

You tubeで見つけたこの動画に成る程と思った。その背景を考えると、この映像にこの歌は合っている。ビートルズのIn my life。 There are places I'll remember All my life though some have changed Some forever not for better Some have gone and some …

時代12、過ぎ去りし時の行方

今回は「過ぎ去りし時の行方」と題して井上陽水と森昌子を並べるが、導入映像は「森昌子十八ゆれる心の想い」と題された次の動画である。 http://youtu.be/sZat1rU00Ps 森昌子を考える時、やはり時代は重要な意味を持つ。それを18歳の彼女が考えていたとは驚…

時代11、卒業記念植樹

1977年(昭和52年)3月に高三トリオは高校を卒業する。それに先立つ1月3日に、3人は赤坂の豊川稲荷で記念の植樹をした。その樹木の現在の様子で、左から山口百恵の山茶花、桜田淳子の木蓮、森昌子の泰山木である。植樹の時とは場所が違うようで、以後に移し…

時代10、森昌子公演劇場とライブ盤

「時代1、森昌子の履歴」から劇場名の入った項目のみを抜粋したリストで、付け足した箇所もある。これを基に「森昌子と劇場」は書かれる。また最後のアルファベット小文字はライブ盤の発売された公演で、そのタイトルは「想い出そして未来へ…」による。 197…

時代9、森昌子と劇場(4)

5、浅草国際劇場 1974年「初のワンマンショー」 正式名称:国際劇場 所 在 地:東京都台東区西浅草3-17-1 完 成:1937年 開 館:1937年7月3日 開館公演:松竹少女歌劇披露興行 閉 館:1982年4月4日 最終公演:松竹歌劇団豪華公演・第51回「東京踊り」 客 席…

時代8、森昌子と劇場(3)

4、日比谷野外音楽堂 1973年「祭りホリプロ花の3人娘」 正式名称:日比谷野外音楽堂 所 在 地:千代田区日比谷公園1-5 開 設:1923年(大正12年) 収容人員:3,114名(座席2,664、立見席450、車椅子対応有り) 小音楽堂:1,075席 用 途:コンサート、集会 運 …

時代7、森昌子と劇場(2)

3、久保講堂 1972年「ファーストコンサート」 正式名称:久保記念講堂 所 在 地:東京都千代田区霞が関 3-3-4 完 成:1958(s33)年10月 閉 館:1984(s59)年3月 収容人員:1000人強 設 計: (株)村田相互設計 跡 地:新霞が関ビル 参考、虎ノ門ホール 所 在 …

時代6、森昌子と劇場(1)

1、よみうりホール 1971年「スター誕生」予選会 所在地:東京都千代田区有楽町1-11-1読売会館7階 完 成:1957年 客 席:1,100席(1階席522・2階席578) 用 途:多目的ホール(コンサート・講演会・試写会など) 設 計:村野藤吾(建築家) 有楽町駅前ビック…

時代5、望郷

前編で森昌子が「港のまつり」の前に故郷の話をしたことから、このタイトルは「望郷」とした。忘れた振りをする故郷は実は忘れられてはいない。戻れないが故に忘れた振りをするのである。「帰りたいでしょ港のまつりに」の問いかけに、男は戻れないが故に、…

時代4、森昌子の故郷 宇都宮

宇都宮と言えば餃子が有名である。餃子と言えば宇都宮、宇都宮と言えば餃子と反射的に出て来る程である。更に、ビーナスが餃子の皮を纏った姿だという餃子像まであり、観光客の撮影スポットになっていると言う。「餃子の街 宇都宮」の真骨頂とも言うべきか。…

時代2、森昌子のシングル盤

発売シングル盤(「森昌子公式ホームページ」より) 1「せんせい」(1972.6.25) 2「同級生」(1972.10.25) 3「中学三年生」(1973.2.5) 4「夕顔の雨」(1973.5.5 ) 5「白樺日記」(1973.8.25) 6「記念樹」(1973.10.31) 7「若草の季節」(1974.…