蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代22、こころ、それは先生(2)

 RCサクセション森昌子の最終回
 この明治の精神は「先生」ばかりでなく、漱石にとっても重要な意味を持っていた。漱石はその殆どを明治の時代に生きた人である。前述の先生の言葉「その時私は明治の精神が天皇に始まり天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは畢竟時勢遅れだと言う感じが烈しく私の胸を打ちました」は、漱石の言葉でもあった。2歳の時に塩原家へ養子に出され、生母を母とも呼べない環境に育った漱石は、21歳になって正式に夏目家に戻ることになるが、その時、既に実母は亡くなっている。漱石は実の親に捨てられたと実感しただろう。それは漱石にとって大きな心の負担になったに違いなく、それが漱石の作品にみられる無根拠性に繋がっているのだろう。この漱石の無根拠性はこの先生も同じで、それがこの先生の喪失感に拍車をかける。その無根拠性を菊田均はこう説明する。 

 漱石の作品を貫くテーマの一つは、自分のどこを探しても自己存在の根拠が見つからないというところにあるが、そうした存在の無根拠性は、幼児にとって最も身近な存在であるべき親にによって捨てられたという体験なしにはありえなかったろう。(「こころ」集英社文庫解説)

 さらに叔父に裏切られたことを振り返って語る先生の次ぎの言葉、「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざと言う間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」を引用して、 

 この時先生は、根拠が存在しないことの無力感に直面したのだろう。「淋しさ」はそこからやってくる。この淋しさの自覚から自殺の決行までは一歩の距離である。その一歩を押し進めたのが時代的な動機だった。(同)

と書く。
 確かに時代は人を待たない。明治とて漱石を待つことはなかった。漱石と時代は、また文学と時代の問題でもあったが、次にその問題を端的に示した柄谷行人の文章を記してみる。 

 近代文学の文章は非常に貧しい。それは、近代文学が言葉の戯れで成り立っているような文学をしりぞけ、現実あるいは内的現実の「表現」として成立しているからである。そこでは、言葉は何かを表わすための記号にすぎない。しかし、「草枕」の言葉はそのような機能から解放されている。それは現実を指示していないし、内的現実をも指示していない。(「草枕について」柄谷行人、「草枕新潮文庫巻末)

 1867年(慶応3年)に生まれ、1916年(大正5年)に亡くなった漱石にとって、人生は明治そのものだった。それも「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」にみられるように、江戸庶民の生活を色濃く受け継いだ洒脱や滑稽の精神を身にまとった人生だった。この洒脱や滑稽等の江戸的な感覚を残した唯一の近代作家が漱石だったのだろう。それを踏まえて次に、漱石文学の本質を衝く江藤淳の文章を引用する。 

 漱石の文学の核に潜んでいるのは、おそらくこの寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である。(中略)漱石以外の近代作家は、その多くが漱石が自らの血肉に継承していた江戸的な感受性と倫理観を否定するところから出発していた。(「漱石の文学」江藤淳、「草枕新潮文庫巻末)

 江戸の感受性、江戸の倫理観、いわば非近代的なそれらが漱石の血肉であった。時代の急速な流れの中で、漱石は精神を脅かす物理的な近代化に疑問を持っていたのだろう。もっと現実的な言い方をすれば、漱石はイギリス留学半ばにして、「夏目、狂せり」との噂の中帰国することになったように、その近代化に対応できなかったのかもしれない。もちろん感受性や倫理観に近代、非近代の善し悪しはない。次は「草枕」の一節である。 

 愈(たちまち)現実世界へ引きずり出された。汽車の見えるところを現実世界と云う。汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱の詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付け様とする。(「草枕漱石

 ここには確かに近代化や機械文明に懐疑的な作者の姿がある。江戸的な感受性や倫理観を身にまとった者にとって急激な変化は耐え難かったのかもしれない。
 機械文明批判と聞くと、チャップリンの「モダンタイムス」を思い出す。「人生に必要なものは、勇気と想像力、そしてすこしのお金だ」とは、「ライムライト」の中でのチャップリンの台詞だが、そのチャップリンは「モダンタイムス」で痛烈に機械文明を批判した。そのきっかけは、機械文明を批判するガンジーに「機械は便利な物ではないですか」と尋ねた時の「便利さの追求は、幸福の追求とは別ものです」とのガンジーの答えにあったという。その後、自動車工場を訪ね、機械の部品のように働かされる労働者を見てこのコメディをつくっている。ガンジーの心はチャップリンの心に響いたのだろう。漱石の「草枕」は1906年チャップリンの「モダンタイムス」はそれから30年後の1936年のことである。
 「こころ、それは先生」は、小説「こころ」の語り手である青年の思いだろうが、忌野清志郎にも森昌子にもそして森昌子ファンにも、それぞれに持ち続ける心はあるだろう。それは、もしかしたら、せんせい…。

忌野清志郎「僕の好きな先生」秘話(asahi.com
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200905040150.html