蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

父の自分史 「生い立ち」(11)

零戦 昭和14年(1939年) さらば学校よ、三月には卒業だ。鉄道官吏になる人、東京の会社に就職する人、満蒙開拓義勇軍に入る人など、それぞれに道が決まると先生も安心するらしい。皆んな広い世界に放たれ、それぞれがばらばらになるが仕方がない。頼りにな…

父の自分史「 生い立ち」(10)

火野葦平「麦と兵隊」 昭和13年(1938年) 高等科二年はこの学校の最上級生であるから何かと忙しい。看護当番は肩から当番記章をかけ、休み時間など校庭や教室に怪我や病気の生徒がいないか注意して見て回った。また、あのころはものを大事に使った。習字の…

Edesu135、そうだ 四国へ行こう(3)

修正 霧の四万十川(3) 森昌子「三坂馬子唄」 https://youtu.be/acsIsWFufME

Edesu134、天使の祝福(2)

色鉛筆 森昌子「さようなら」 https://youtu.be/pNDWQeauDro

父の自分史「 生い立ち」(9)

記念写真 昭和12年(1937年) 四月には高等科に進学した。殆どの同級生が入って来た。西と東の小学校からも大勢の入学があり、男子と女子は別々のクラスになった。受持ちは豊田先生がいいなと騒いでいると、その豊田先生が教室に入って来たので皆んなで手を…

父の自分史「 生い立ち」(8)

如拙「瓢鮎図」(注) 昭和11年(1936年) 四月に六年生になった。この頃までは大して生活が変わったとは感じていなかったが、これからはどんどんと変わる。いつもなら新学期には新しいボールが各教室に配られたがこの年辺りからそれもなくなり、体操の時も…

父の自分史「 生い立ち」(7)

下駄スケート 昭和10年(1935年) 五年生になる。今度の受持ちは何先生かと心配していたら、誰からもあまり好かれていない嫌な先生だった。最初からそう思っているのだから仕方ない。笑った顔は見たことがないし、常に額に縦皺を寄せて怒っている。 教室の戸…

Edesu133、そうだ 四国へ行こう(2)

水彩、墨汁 霧の四万十川 失敗しました。水彩ですから修正は難しいので途中画の色を消して載せます。 森昌子「南国土佐を後にして」 https://youtu.be/SOlQ5Bd6rRY