蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史「 生い立ち」(7)

下駄スケート


昭和10年(1935年)
 五年生になる。今度の受持ちは何先生かと心配していたら、誰からもあまり好かれていない嫌な先生だった。最初からそう思っているのだから仕方ない。笑った顔は見たことがないし、常に額に縦皺を寄せて怒っている。
 教室の戸に黒板ふきを挟んで置く。戸を開けるとその黒板ふきが頭に落ちる仕掛けになっている。しかしさすがに先生はお見通しで、戸を開けても直ぐには入らない。黒板ふきだけがどたんと落ちる。さあ、それからが大変で延々とお説教が続く。一時間、時には二時間と続く。もう勉強なんかどうでもいい。最初からこの調子だから褒められる訳がない。私たちのクラスは先生の敵か仇のようで、毎日毎日とお説教が続いた。今にして思えば三、四年の教科の出来が悪く、師範出のエリート先生には受持ちたくないクラスであったのかも知れない。私たちも生意気盛りの年頃だった。


 当時、冬になると学校裏の田ん圃に氷をはらせ遊べるようにしてあった。誰が作るのか知らないが、休み時間や放課後などに下駄スケートで遊んだ。下駄に金属製のスケートが付いており、それを紐でしっかりと結わえて滑る。本当は滑るなんてことは出来ない。ただ、立っていられれば良い方で、下駄の鼻緒にしっかり結んでも足がふらふらして立ってもいられない。それでも楽しくてワイワイと遊んだ。先生は革靴のスケ−トだからすいすいと滑る。後ろへも滑る。上手いものだと感心しながら見ていた。


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昭和10年
中原淳一の夢見る乙女たち(「目録20世紀1935」講談社


主な出来事
築地市場:2月10日、築地市場開場。
天皇機関説:2月25日、美濃部達吉貴族院本会議で天皇機関説の正当性を説く。国粋主義団体などによる機関説排撃運動が全国的な展開をみせるなか、政府は8月と10月に正式に機関説を否定する。美濃部は東京地検に召喚されて取り調べをうけ、著作は発禁処分となった。 自由主義排撃の風潮が強くなる。
・皇帝溥儀:4月6日、満洲国皇帝溥儀が来日。靖国神社参拝。
不敬罪:4月7日、美濃部達吉天皇機関説により不敬罪で告発される。
憲法概要発禁:4月9日、美濃部達吉の「憲法概要」など著書3冊が発禁となる。
・暁の超特急:6月9日、吉岡隆徳が100メートル10秒3の世界タイ記録を樹立。暁の超特急と呼ばれた。


流行り言葉や初登場のものなど
オフィス ワイフ:女性秘書のこと。女性の新しい職業として注目された。
茶店酒類を扱わないカフェの呼び名として定着した。レコード音楽を聞かせる専門店は「純喫茶」と呼ばれた。
その他にも
あのねおっさん、わしゃかーなわんよ・ハイキング・非国民・第一回芥川賞 など

モノ語り35「目録20世紀1935」


流行り歌やその年のレコード
童謡「どじょっコふなっコ」
ディック・ミネ、星玲子「二人は若い」
ミス・コロムビア「つきのキャンプ」
杉狂児「船頭可愛いや」「のぞかれた花嫁」
関種子「雨に咲く花」
高田浩吉「大江戸出世小唄」
村道夫「流線型ジャズ」
児玉好雄「無情の夢」
小野巡「祖国の護り 大山元帥を讃える歌」
松島詩子「夕べ仄かに」
淡谷のり子「ドンニャ・マリキータ」
新橋喜代三「明治一代女」
中野忠晴「小さな喫茶店」「ミルク色だよ」「Tiger Rag」
東海林太郎「旅笠道中」「野崎小唄」「むらさき小唄」
徳山たまき「満洲国国歌」「満洲国皇帝陛下奉迎歌」
楠木繁夫「緑の地平線」


淡谷のり子「ドンニャ・マリキータ」
https://youtu.be/ZMuhnw8xxjY