蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

父の自分史 「生い立ち」(6)

腕用ポンプ 昭和9年(1934年) 私たちのクラスはわりあい小勢で、上のクラスも下のクラスも二クラスあったが、六年まで一クラスであった。受持が初めて男先生ということで嬉しかったが、ただ皆んな少し元気になり過ぎたようだ。それを先生はうるさいと感じた…

父の自分史 「生い立ち」(5)

御真影 昭和8年(1933年) 一、二年は女先生が受持ちだった。三年になりどんな先生が来るのかと待っていると、男先生が入って来て、いきなり黒板に自分の名を書いた。それを見て皆んな笑った。詰襟服姿の若くて元気な先生に戸惑い、それを隠そうとしたのかも…

父の自分史 「生い立ち」(4)

国語読本(1933〜1940) 昭和7年(1932年) 進級すると一クラスに一個、新しいボールが配られる。これを投げたり蹴ったりして遊ぶことができるので休み時間が待ち遠しかった。廊下には各々の名前が付けられた新しい傘が並ぶ。いざという時のために用意してあ…

父の自分史「 生い立ち」(3)

田川水泡「のらくろ」 昭和6年(1931年) この年の四月、小学校に入学した。新しい着物は絣地で、羽織りも同じ絣の対であった。当時のノートは石版といい、薄い石板の縁を木で補強した帳面位の大きさのものだったが、それに石筆で書いては消し、消しては書い…

父の自分史 「生い立ち」(2)

日光羊羹 昭和5年(1930年) 毎日の主食は麦飯が殆どであった。一升の米に二合位が我が家の暮らしで、半々位のひどい家もあったらしい。食事は一汁一菜、魚や卵など毎日食うという訳にはいかない。例えば、ある家を訪ねた時、膳に卵焼きがあってもそれを食べて…

父の自分史 「生い立ち」(1)

父の自分史「生い立ち」の昭和4年から昭和16年までを載せ、当時の世相を簡単に探ります。ちなみに、文中の実叔父さんは既に亡くなっておりますが父は健在です。70を過ぎてから突如として書き始めた自分史ですが、文章はひどいものなので直して一部を抜粋しま…

Edesu132、そうだ 四国へ行こう

未完成 霧の四万十川 四辺を貼り付けたガムテープが上の方だけ写っていますが、背景は霧に覆われる四万十川。最近は描けず、下絵に少し色をつけただけのかきかけです。 森昌子「祖谷の粉ひき唄」 http://youtu.be/URfhMwnmUfc