蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史 「生い立ち」(2)

日光羊羹


昭和5年(1930年)

 毎日の主食は麦飯が殆どであった。一升の米に二合位が我が家の暮らしで、半々位のひどい家もあったらしい。食事は一汁一菜、魚や卵など毎日食うという訳にはいかない。例えば、ある家を訪ねた時、膳に卵焼きがあってもそれを食べてはいけない。その家の子供たちのために残しておくべきと言われたものである。こんな生活にあれば正月は楽しいもので、指折り数えて待っていた。白い御飯や餅をたらふく食って遊んでいられる。待ち遠しくてしようがない。それは大人にとっても同じだった。大人は親戚や知人宅への年始参りと称して朝から酒が飲めるのだ。
 年始回りには、木綿の手拭と日光羊羹を持参するのが普通だった。どの家の人も同じ物を持って挨拶に来る。客に振舞う膳は、さが(注1)の煮付けと数の子(かどの卵の醤油漬け)(注2)と相場は決まっていた。そして四方山話をして帰る。今でいう情報交換の場でもあった。その羊羹が子供たちの口に入るのはその隅が硬くなるころで、私は子供心に羊羹は隅が硬い食べ物だと思っていた。


************************
昭和5年
男子の本懐と大失業時代(「目録20世紀1930年」講談社


主な出来事
メートル法 : 1月1日、鉄道省が全線でメートル法実施。
浅間山 : 6月11日、浅間山爆発。
浅間山 : 9月5日、浅間山再爆発。降灰は東京までとどく。
・浜口首相狙撃 : 11月14日、東京駅で特急つばめに乗り込もうとしていた浜口首相が狙撃されて重傷を負う。
・煙突男 : 11月16日、長期争議中の富士瓦斯紡績川崎工場で、一人の青年が地上47mの煙突に登り出勤する労働者に向けてアジ演説する騒ぎを起こす。130時間留まり続けた。


流行り言葉や初登場のものなど
アチャラカ : あちら(西洋)からをもじったもの。浅草で始めたエノケンの「アチャラカレビュー」が人気を呼ぶ。
男子の本懐 : 東京駅で狙撃された浜口首相が見舞にかけつけた幣原外相に語ったとされる。
男装の麗人: 少女歌劇で男役に扮する女優のこと。松竹少女歌劇団(のちの松竹歌劇団=SKD)の水の江滝子が第1号。
その他にも
愛して頂戴ね・エロ グロ ナンセンス・荻野式避妊法・オッケー・オンパレード・銀ブラ・失礼しちゃうわ・女給・何が彼女をさうさせたか・ラバさん・流線型・ルンペン・上野駅地下商店街・国産電機冷蔵庫・山と渓谷(雑誌)・百円札・ハイトリリボン など

モノ語り30「目録20世紀1930年」


流行り歌やその年のレコード
河原喜久恵「麗人の唄」「ザッツ・オーケー」
藤本二三吉「新祇園小唄」
佐藤千夜子「この太陽」
羽衣歌子「女給の唄」
青木晴子「恋と花」
宝塚少女歌劇月組すみれの花咲く頃
藤野豊子「アラその瞬間よ」
富田屋喜久治「酋長の娘」



藤本二三吉「新祇園小唄」
https://youtu.be/1fynqDfCCdU


************************
注1)さが: 鮫料理。さがんぼ、もろとも呼ばれる。栃木県ではよくみられる料理であるが、鮫であることはあまり知られていない。
注2)数の子: 干したかどの卵を水で戻してから醤油漬けにしたもの。語源は「かどの子」の訛り。近世までニシンを「かど(カドイワシ)」と呼んでいた名残である。この年はニシンの豊漁で数の子が安価で手に入ったらしい。