蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

6-4解釈 赤とんぼ

前回と重複するが、「赤とんぼ」は1921年(大正10年)三木露風32歳の時に、「北海道函館のトラピスト修道院で、赤とんぼのいる窓越しの風景を見て作った」との本人の記述がある。無論、詩の情景は幼少期のものであるから故郷兵庫県竜野のものであろう。 この…

6-3歌詞 赤とんぼ

日本は古来、大倭豊秋津島または単に秋津島(秋津洲)と呼ばれた。豊かに穀物が実る島の意で大和を中心とする地域の美称、或は日本国の美称である。『古事記』では大倭豊秋津島、『日本書紀』では大日本豊秋津洲と記される。大は美称、倭は大和のことで『古…

俳句3 赤とんぼ

赤とんぼ筑波に雲もなかりけり(正岡子規) 美しく暮るる空あり赤とんぼ(進籐湘海) から松は淋しき木なり赤蜻蛉(碧梧桐) 町中や列を正して赤蜻蛉(一茶) 渚より先へは行けず赤とんぼ(松尾隆信) 赤とんぼじっとしたまま明日どうする(渥美 清) なまけ…

6-2 童謡・抒情歌と森昌子

1986年 「赤とんぼ」と「ふるさと」 15周年記念コンサートでの選曲はオリジナルシングルのみで、童謡、抒情歌などは含まれていないが、ファイナルコンサートでは何曲か歌われ、その中に「赤とんぼ」と「ふるさと」がある。これは「森昌子大全集 DISC.6今甦る…

他9、「二十歳の原点」高野悦子

最近、本屋さんに行き「二十歳の原点」が広いスペースをとって並べられているのを見てちょっと驚いた。2009年4月にカンゼンから新装版が発行されていた。1971年の風景のひとつとして前記「少女森昌子の挑戦」(1)の中にも本書名を記したが、若い頃の私はど…

4-2 森昌子と船頭小唄

1977年 中山晋平は「船頭小唄」で晋平節を定着させたと言われている。晋平節の特徴はヨナ抜き5音階で、それはドレミの4番目と7番目の音、ファとシを抜いたドレミソラドの5つの音による音階のことである。ヨナ抜き5音階は伊沢修二の努力の結晶とも言えるもの…

俳句2 寒椿

サザンカ(山茶花、学名:Camellia sasanqua)は、ツバキ科の常緑広葉樹。秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせる。野生の個体の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は赤や、白や、ピンクなど様々…

2-3 森昌子の原点「南国土佐を後にして」

1974年頃 森昌子が生まれて初めて歌った歌が1歳7ヶ月の時のこの「南国土佐を後にして」で、3歳の頃には既にマスターしていたと言われている。この曲は武政英策の作詞作曲によるもので、1959年ペギー葉山の歌でヒットした。その数年前に二人の歌手がレコード…

他8、ボブディランの来日

ボブディランのコンサートが3月に予定されている。1978年以来7度目の来日で2001年以来9年振りのコンサートになる。ボブディランはビートルズと共に私たち世代にとって別格の存在であるが、そのビートルズは既になく、ジョンレノン、ジョージハリソンはこの世…

1-2 少女森昌子の挑戦(2)

デビュー頃 森田昌子の選んだ曲は都はるみの「涙の連絡線」だった。いや、選んだのではなく叔母から渡された譜面が「涙の連絡線」だった。「涙の連絡線」は都はるみの11枚目のシングルで、1965年6月に発売されていた。都はるみはその前年3月にデビューし、同…

1-1 少女森昌子の挑戦(1)

1971年、街中には尾崎紀代彦の歌う「また逢う日まで」が流れ、少し小さな通りの若者が多くの住む辺りでは吉田拓郎の「青春の詩」を聞くことが多かった。 70年安保に対する反対運動は、特に学生の間で全共闘や新左翼諸派の運動として全国的に盛んであったが、…