蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

6-3歌詞 赤とんぼ


 日本は古来、大倭豊秋津島または単に秋津島秋津洲)と呼ばれた。豊かに穀物が実る島の意で大和を中心とする地域の美称、或は日本国の美称である。『古事記』では大倭豊秋津島、『日本書紀』では大日本豊秋津洲と記される。大は美称、倭は大和のことで『古事記』編纂時代の都の地である事から本州の総称とされた。
 豊秋津島(とよあきつしま)とは豊かな秋の実りのある島の意味で、後の千五百穂秋之瑞穂国や天御虚空豊秋津根別も共に同じく五穀豊穣の国を意味する。


 秋津羽の袖振る妹を玉くしげ奥におもふを見たまへ吾君
 秋都葉ににほへるころも我は著じ君に奉らば夜も著るがね

 万葉集に上記の歌があり、前者の「秋津羽」は薄く美しいトンボの羽を羅(うすもの)の衣にたとえており、後者の「あきつは」は「秋津葉」即ち紅葉の意とする説もあるが、これもトンボの羽と解する説の方が多いようである。他に「アキとは稲の事で稲の豊熟する国の意」とする説や、「アキツは明つ神のあきつと同語で、現にこの世界にある美しい国土の意」と解する説等もあるが、何れにしても同音で同じ蜻蛉の字を当てることから、あの可憐にして勇敢なトンボに関係しているだろうことは否めない。(東光治・要約)

 要するに、秋津はとんぼのことであるが、「豊秋津島」は豊かに穀物が実る島の意となる。とんぼと大いに関係ある島と言うことだろう。
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山田耕筰「童話百曲集」山田耕筰 1927年(昭和2)
作詞:三木露風、作曲:山田耕筰

夕焼小焼の 赤とんぼ 
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろし

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
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「樫の木」掲載 1921年(大正10)

夕焼小焼の 山の空
負われて見たのは まぼろし

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは いつの日か

十五でねえやは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけこやけの 赤とんぼ
とまってゐるよ 竿の先

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 三鷹駅前にある赤とんぼの歌碑には、露風が知人に送った原稿の文字が刻印されているらしいのだが、「十五で姐やは」は「姐やは十五で」と記されているという。また、最近の教科書では3番の歌は除かれているという。「姐や」の言葉を避けているらしい。この歌は起承転結の4節から成るのだが、その「転」を省いてしまっている。何をかいわんやである。
 露風13歳に萌芽した「赤とんぼ」が、現在の日本でこのような扱いを受けるとは。露風もあの世で地団太踏んでいることだろう。豊秋津島も地に堕ちたものである。先人の傑作にある起承転結を反故にして、日本の未来を担う子供たちに何を教えようと言うのか。

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赤とんぼ歌碑(三鷹駅前)2013.4.29追加 本文も一部訂正。