蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

手紙3 竜胆の里(1)

「ある大学生のはがき」前略 先日はありがとうございました。皆さん元気そうで安心致しました。私も山の空気を吸って、少し元気になったような気がします。都会の雑踏の中にいると、田舎の風景はやはり懐かしく思い出されます。東京はまだまだ暑い日が続きま…

手紙2 悲しみの町(1)

「無名演歌歌手の投函されなかった手紙」 今、あなたはどこにいるのですか。そこで何をしているのですか。そこは暑い所ですか、それとも寒い所ですか。海の近くですか、それとも砂漠の中ですか。 この間、久し振りに休みが取れたので、お友達と二人で高尾山…

12、森昌子 オリジナル演歌

1、「古都の別れ歌」 歌手:森昌子、作詞:土井あきら、作曲:桜田武男 1975年12月 LP「あの人の船行っちゃった」(森昌子17歳) ふと開けた障子越しに、幽かに響く列車の音にさえ涙が溢れてしまう。蛍は籠の窓を開けても離れず、じっとして明滅を繰り返え…

お見舞い

森 昌子様 入院され手術を受けられたと伺いました。 心よりお見舞い申し上げます。 御身大切に、心安らかにあられますようお祈り申し上げます。

11、森昌子 昭和の流行歌

1、「夜のプラットホーム」(昭和22年) 歌手:二葉あき子、作詞:奥野椰子夫、作曲:服部良一 1947年(昭和22年)に二葉あき子が歌ってヒットした彼女の代表的な曲とされるが、もともとは淡谷のり子が歌ったもの。1939年(昭和14年)に、映画『東京の女性…

2-2 森昌子 天使たちの翔き

「いつか、本当の演歌が歌える歌手になりたいなあ」という「スター誕生」で流された少女の明日を夢みた言葉は、本当に当人が語った言葉なのだろうか。或いは、テレビ局側が作り上げた言葉なのだろうか。私は後者であろうと思っているのだが、いずれであるに…

10、森昌子 デビュー三部作

1、「せんせい」(1972年7月) 歌手:森 昌子、作詞:阿久 悠、作曲:遠藤 実 「紅白」初出場は1973年12月、15歳になるのを待っての出場だった。どぎついばかりの詞を書いてきた阿久悠が、初めて書いた童画風色合いの抒情詞がこの「せんせい」である、と本…

2-1 森昌子 明日を夢みて

「スター誕生」で天才振りを発揮した森田昌子は森昌子として、1972年7月1日、阿久悠作詞、遠藤実作曲の「せんせい」でデビューすることになる。しかしデビューまでのプロセスは、詞を依頼された阿久悠、所属することになるホリプロの堀威夫、そして「スター…

俳句5 風狂の人・惟然坊

広瀬惟然は蕉門にありながらもなかなかの風狂の人である。「俳家奇人談」に書かれた惟然坊の項より。 「惟然坊は、濃州の人、もと富裕なりしかども、後はなはだ貧し。かつて蕉門に遨遊して、俳諧の狂者と呼ばる。(風羅念仏を唱へ、風狂してあるく事、畸人伝…

9、森昌子 追憶の旋律

1、「南国土佐を後にして」(1959年) 歌手:ペギー葉山、作詞、作曲:武政英策 この曲は厳密な意味でのヨナ抜き音階ではないが、全体的にはヨナ抜き5音階、都節風に作られており、後半の土佐民謡「よさこい節」と共に日本的な音階構成になっているという。…