蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

2-2 森昌子 天使たちの翔き

 「いつか、本当の演歌が歌える歌手になりたいなあ」という「スター誕生」で流された少女の明日を夢みた言葉は、本当に当人が語った言葉なのだろうか。或いは、テレビ局側が作り上げた言葉なのだろうか。私は後者であろうと思っているのだが、いずれであるにしろ、今これをあれこれと詮索することにあまり意味はない。テレビを通じて流れればそれは既定の事実となり、本人とは関係なく森田昌子の夢となるからである。テレビとはそういうものであり、その意味で効果は絶大である。
 その頃の音楽番組について書かれた、朝日新聞(1972年6月25日付)テレビ欄の「日曜あんない」と見出しのついた記事を次に掲げる。

 日本テレビ「スター誕生!」(日)の第一回決戦大会(1月)の優勝者、森昌子(写真)のレコードが7月1日発売される。また同「全日本歌謡選手権」(月)で10週を勝抜いた大橋恵子もプロとして一本立ち、新人歌手の登竜門番組は点数をかせいでいる。歌番組は既成歌手のたらい回しが多く、新鮮味を欠いているようだが、「その打開策と新人を常に待望している茶の間のためにも、新人の育成が急務だ」(狩野TBSテレビ番組宣伝副部長)、「それはプロダクションだけでなく、テレビ局自身も積極的に手を打つ必要がある。うちは10年前の『ホイホイ・ミュージック・スクール』からの実績があり、十分な役割を果している」(神田日本テレビPR室次長)という。
 ほかには、TBSテレビの5月新番組「あの虹をつかもう!」(水)、NET「歌うデイト・イン・スタジオ」(日)があり、日本テレビ「NTV紅白歌のベストテン」(月)、フジ「ハイヌーン・ショー」(火)、NET「桂小金治アフタヌーンショー」(木)、東京12チャンネル「圭三、歌うスタジオ」(日)も、同じねらいの「新人コーナー」を設けている。いずれも厳しいオーディションで参加資格を厳選したり、プロ歌手もテストを受けるなど、今までののど自慢番組とは、ちょっと違っている。」(朝日新聞縮刷版)

 これで当時のテレビ音楽番組の想像がつくのだが、新人発掘の為の番組が毎週のようにあり、また、1972年6月の夕方6時以降の歌番組を調べてみると、「夜のヒットスタジオ」や「紅白歌のベストテン」をはじめとして25の番組があった。昼の時間帯にも幾つかあり、それを加えるとさらに多くなる。この歌番組の多さに驚くのだが、歌謡曲全盛時代であり、お茶の間の新人歌手待望論も頷ける。
 「たしかにあの頃、茶の間にはいい人が群れていた」(「歌謡曲の時代」阿久悠)と記すように、歌謡曲は茶の間なくして語れない。そして流行歌もまた茶の間なくしては語れない。園部三郎は著書「日本民衆歌謡史考」の中で、流行歌の条件として次の3項目を挙げている。

  • ①一般的には昭和初期以降のもの(大正期は江戸の流行り歌から流行歌への過渡期)で、
  • ②都会で流行し全国に広まった大衆歌曲であり、
  • ③比較的流行の短いもの(長い期間愛唱されたものは民謡に範疇される)

 だが、実はもう一項目が必須とされる。それは「世代を渡って支持されること」なのだが、「日本民衆歌謡史考」が初めて出版されたのは1960年であり、それをその項目の一つとするには余りにも当たり前すぎ、省いたものと思われる。テレビは一家に1台、それも茶の間に置かれるのは至極当然の時代に書かれた本なのである。


 縦の関係の希薄化や核家族を中心とする生活スタイルの変化は、大衆音楽の変化に繋がる。すでに大衆音楽はベンチャーズビートルズの影響を受けた若者嗜好が中心であり、世代を渡って支持される音楽は少なくなっていた。生活スタイルの変化が先か、音楽嗜好の細分化が先か、判然としないが、大衆音楽が変わりつつあることは確かであった。
 そんな頃に森昌子の学園三部作は順調にヒットとし、ホリプロ和田アキ子森昌子の2枚看板が出来上がる。そして森昌子の順調な滑り出だしを維持する為に堀威夫は、かっての中尾ミエ伊東ゆかり、園まりの「ナベプロ3人娘」を見本に、森昌子山口百恵にフジテレビの夏休み特番で獲得した石川さゆりを加えて、「ホリプロ3人娘」として売り出そうとする。しかし、これに日本テレビは素早く反応し、「中3トリオ」で対抗する。日本テレビは音楽番組作りでナベプロとの間に問題を抱えていて、「スター誕生」もこれを贖うためのものといえなくもなく、芸能プロのこうした行為を見過ごすわけにいかなかった。
 一方、「スター誕生」は第1回決戦大会優勝者の森昌子のデビューと「せんせい」のヒットで注目され、未成年者の応募が殺到、番組自体が社会現象と言われるまでに隆盛する。そしてそれは「中3トリオ」の登場で決定的になり、図らずも、いや日本テレビの思惑通りか、「ホリプロ3人娘」は自然消滅へと追いやられるのである。


 森昌子が初めてテレビで「せんせい」を歌ったのは、1972年6月18日(収録は5月31日)放送のもので、その日、遠藤実が審査員席に座って彼女のデビューを見守り、祝福した。「天使たちの野望の最初の翔きであった」(阿久悠

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1972年6月頃の音楽番組(午後6時以降)
(月):NHK「歌はともだち」(6:20〜6:45)、NTV「紅白歌のベストテン」(8:00〜9:00)、NET「にっぽんの歌」(9:00〜10:00)、フジ「夜のヒットスタジオ」(10:00〜11:00)
(火):NHK「歌謡グランドショー」(8:00〜9:00)、TBS「歌えファンファーレ」(8:00〜9:00)
(水):NTV「奇想天外歌合戦」(7:00〜7:30)、NET「ベスト30歌謡曲」(8:00〜9:00)、TBS「みんなで歌おう‘72」(9:00〜9:30)、フジ「ビッグワンショー」(10:00〜10:30)
(木):12ch「歌えヤング」(7:00〜8:00)、フジ「オールスターきらめく夜の大行進」(8:00〜9:00)、NET「演歌、艶歌、援歌」(8:00〜9:00)、フジ「歌うスターカップル」(9:30〜10:00)、NTV「帰ってきた歌謡曲」(10:30〜11:00)
(金):TBS「ミュージック・トゥナイト」(8:00〜9:00)、フジ「ゴールデン歌謡速報」(8:00〜9:00)
(土):12ch「なつかしの歌声」(10:00〜10:30)、12ch「夜の大作戦」(10:30〜11:00)
(日):NTV「シャボン玉ホリデー」(6:30〜7:00)、NTV「サンデーヒットパレード」(7:00〜7:30)、NHKステージ101」(7:20〜8:00)、NET「スターものまね大合戦」(7:30〜8:00)、フジ「ラブラブショー」(9:00〜9:30)、フジ「夜のグランドショー」(10:00〜10:40)