蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

手紙2 悲しみの町(1)

「無名演歌歌手の投函されなかった手紙」

 今、あなたはどこにいるのですか。そこで何をしているのですか。そこは暑い所ですか、それとも寒い所ですか。海の近くですか、それとも砂漠の中ですか。
 この間、久し振りに休みが取れたので、お友達と二人で高尾山に行って来ました。久し振りといっても本当はそんなに忙しいことはないのですが、最近マネージャーさんがスケジュールをビッシリ入れてくれるものですから、それで久し振りの休みだったのです。仕事は色々で、レコード屋さんめぐりやデパートの屋上ならまだ良い方で、この前はスーパーの店頭でした。焼き鳥屋さんや花屋さん、スーパーの特売商品に囲まれて、例によってリンゴ箱の上で歌いました。でも赤いカーペットを掛けてくれていたので、それらしくはあったのだけれど、子供たちは食べるのに忙しく、お母さんたちは特売品に夢中で、何人かのお父さんが焼き鳥を銜えたまま、まばらに拍手してくれました。一人でも拍手してくれる人がいれば私はそれでいいのです。誰も立ち止まらず通り過ぎてしまうことだってあるのですから。あなたは知らないでしょうね、私の今の歌は。あなた、演歌、嫌いですものね。クラシックしか聴かない人ですものね。「悲しみの町」って言うの。でも変ね、演歌の嫌いな人の恋人が演歌歌手だなんて。


 ああ、そうそう、高尾山ね、初めて行ったのだけれど、とっても気に入ったわ。晴れ晴れとした気分になっちゃった。また明日から歌うぞって気になったわ。一緒に行ったお友達お花少女だから、草花のこと色々と教えて貰ったわ。福寿草は終っていたけど、スミレや一輪草、ミヤマカタバミや筆竜胆、みんなきれいに咲いていた。私、野生の花を見るのなんて久し振りだったから、なんか癒されちゃったわ。そして、カキドオシと片栗の花。あなた片栗の花の花言葉知ってる。「寂しさに耐える」なんだって。紅紫色の小さな花だし、私みたいで、なんか、いじらしくなっちゃった。凄い山道も歩きました。小鳥もいっぱい鳴いてました。片栗の花だけちょっと気になったけど、浮々としました。あなたもたまには行った方がよさそうね。


 ところで、あなたは今、テルアビブという所にいるのでしょう。叔父様がそう仰っていました。叔父様はあなたを心配して私に電話をくれたんです。外務省情報調査局のおそらくは特別対策室のような所にいるのだろう、それで、あからさまに連絡できないのかもしれない、と仰っていましたが、そうなんですか。叔父様もその件はあまり触れないほうが良いかも知れない、とも仰ってはいましたけど。そして、あなたから連絡があったら教えて欲しいって、言われたんです。そう言われるとつい気になっちゃって…。私そんな所良く知らないから、ちょっと心配になって、その後、マネージャーさんにそれとなく訊いたんです。そしたら、テルアビブは何年か前に大きな事件があった危険な町だって、そして悲しい町だって…。それでこの手紙を書いてます。


 今年の夏祭りも、もうすぐです。その頃までには戻って来るのですか。今年も私は浴衣で歌います。楽しみです。でも、あなたに会える日をもっと楽しみに待っています。

1976年
つぐみ
山を忘れた山男さんへ   
追伸:本当は私、あなたは知らないでしょうけど、この頃、一人で泣くことが多いのです。
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 これはフィクションです。実在する人物とは何の関係もありません。また、今後もこのカテゴリー「手紙」に書かれる文章は、すべて創作・フィクションです。(蜂)