蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

6-2 童謡・抒情歌と森昌子

1986年


「赤とんぼ」と「ふるさと」
 15周年記念コンサートでの選曲はオリジナルシングルのみで、童謡、抒情歌などは含まれていないが、ファイナルコンサートでは何曲か歌われ、その中に「赤とんぼ」と「ふるさと」がある。これは「森昌子大全集 DISC.6今甦る涙と感動 森昌子ファイナルコンサート」にも収められている。

 「赤とんぼ」は大正10年「樫の木」に発表された三木露風の詩で、また昭和2年の「山田耕筰童話百曲集」にも載せられている。ただ、この童話百曲集が非売品であったため、この曲がどのようにして世間に広まったのかが、色々な人の研究にあっても未だに良く判らないそうである。だが、日本一有名な曲であることに変わりはない。と言うのは、1989年のNHK「日本の歌、ふるさとの歌」のアンケートで、5000曲以上の中から第一位に選ばれた曲だからである。この曲のモデル地が特定されていないというのも、全国的な支持を得た理由のひとつらしいが、まさに豊秋津島の面目躍如というところか。
 「ふるさと」は、「尋常小学校唱歌」(大正3年)の第6学年用に載せられた高野辰之(作詞)、岡野貞一(作曲)による作品と一般的に言われているが、岡野の作曲を疑う人がいないわけではない。その理由として、文部省唱歌が合議制で作られていたこと、作者名が公表されなかったこと、更に当時の編纂日誌にも作者名が厳に伏せられていることなどが挙げられる。また岡野自身の唱歌についての発言がないことや、残された資料にそれらしいものがないという事実が、その不透明感に拍車をかけているのかもしれない。いずれにしろ今後の究明を待つ以外にないが、この二人がこの曲の中心にいたことは間違いない。
 また高野辰之を題材に、膨大な資料を駆使して書かれた小説「唱歌誕生〜ふるさとを創った男」(猪瀬直樹)は、「ふるさと」誕生の経緯や童謡について詳しく書かれているらしいが、残念ながら私はまだ手にしたことはない。


 これらは共に大正ロマンと言われる時代の作品で、良く知られた曲である。このコンサートでは「早春賦」や「浜辺の歌」が彼女の声質や歌唱に合っていて、一日の長が見られると思うのだが、この「赤とんぼ」と「ふるさと」にもその頃の彼女のえも言われぬ趣が感じられ、なんとも心地良いものになっている。


大正時代に花開く童謡と抒情歌

 大正浪漫とは大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象を指していう言葉で、19世紀を中心にヨーロッパで展開された精神運動であるロマン主義の影響を受け、個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮などの意味を持つ。なお「浪漫」という当て字は夏目漱石によると言われている。(ウィキペディア要約)

 大正時代は15年と短いながらも、明治新政府の富国強兵・殖産興業がある程度の成果を得て、欧米列強に伍するまでに国力増強がなされた時期であり、またその10年頃までは、日清、日露の二度の戦勝による好景気の影響もあって、国中が国威の発揚に沸いていた時期でもある。生活面でいえば、町や都市の基盤が形づくられて近代化が現実のものとなる感覚があり、精神面では、大正デモクラシーによる国民の意識に大きな変化があった頃である。また、女性が陋習の殻を破って地位向上の努力に弊害ない風潮に溢れた時代であり、それは女性にとっての新たな幕開けの時代でもあった。人々の新たな時代に対する期待が現実味を帯びて見えてきた頃なのである。

 それは芸術の面も同じで、活動写真や録音、印刷などの技術進歩が新しいメディアを作り、情報の伝播を容易に、また迅速にし、西洋文化の影響を受けた新しい演劇・文芸・音楽・絵画などが大衆社会に広まりやすい環境が整い始めていた。特に音楽の世界でそれは、ラジオ放送の開始やレコード歌手の誕生などで現実化し、昭和流行歌隆盛の基となるのである。躍動に溢れた都市を中心に、自由や開放を大らかに謳い上げた大正ロマンと言われる大衆文化が花開くのである。
 演劇界では、芸術座の島村抱月松井須磨子の活躍がその象徴となる。また当時の衝撃であった松井須磨子の自殺は、ある面から見れば大正期の風潮である「個人の解放」や「自由恋愛」の発露であり、もう一つの面から見るとヨーロッパ文芸における耽美主義やダダイズムの影響が感じられる。大正ロマンは世界の思潮や動向に敏感であったと言える。

 文芸においては、武者小路実篤志賀直哉に代表される白樺派と、赤い鳥運動と呼ばれた鈴木三重吉の児童雑誌「赤い鳥」がその中心的な役割を果たす。「赤い鳥」はそれに賛同した作家、詩人、作曲家たちによる新作童謡を次々と発表し、文芸界のみならず音楽界にも新たな一石を投じている。


 これら影響を受け、文部省は再び「尋常小学校唱歌」(明治44〜大正3年)の編纂発行に尽力することになる。そしてこの唱歌集で初めて、日本は全てが日本人の手になる作品で音楽の教本を作り上げるのである。これは明治初期に、伊沢修二が苦心した「国楽」の確立に一応の成果を得たとの評価に値する。最初の「小学唱歌集」(明治14・16・17年)は外国曲に日本の歌詞を当てたものであり、二番目の「小学唱歌」(明治25・26年)は西洋曲に加えて、古謡、わらべ歌、口語体等の混交した寄せ合わせでしかない。「尋常小学校唱歌」において、伊沢苦心の「小学唱歌集」で教育受けた者たちがヨナ抜き5音階を習得し、伊沢の3ヶ条を成し遂げたと言えるのではないだろうか。

 大正ロマンは新しい時代の萌芽を示す意味合いから、モダニズム(近代化)から派生した大正モダンという言葉と同列に扱われることもある。大正モダンと大正ロマンは同時代の表と裏を表象する対立の概念であろう。在位の短かった天皇崩御により、震災復興などによる経済の閉塞感とともにこの時代は終わり、世界的大恐慌で始まる昭和の時代に移るが、大衆化の勢いは衰えることなく昭和モダンの時代へと引き継がれる。(ウィキペディア

 童謡と抒情歌は大正ロマンの時代にその蕾を膨らませ、流行歌は昭和モダンの時代に花開くのである。
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1、 「赤い鳥」
童話と童謡の児童雑誌。1918年7月1日創刊、1936年廃刊。196冊を刊行。児童文学、児童音楽の創世期に最も重要な影響を与えた。
関係した人物:鈴木三重吉芥川龍之介有島武郎泉鏡花北原白秋高浜虚子徳田秋声、清水良雄(絵)、菊池寛谷崎潤一郎島崎藤村、野口雨情、西條八十三木露風山田耕筰、成田為三、本居長世、弘田龍太郎、小川未明坪田譲治、草川信、近衛秀麿、与田準一、小林純一、他

2、 その他の大正ロマン期の人物
木下利玄、里見紝柳宗悦郡虎彦、長與善郎、中川一政梅原龍三郎岸田劉生竹久夢二高畠華宵中山晋平小山内薫倉田百三久保田万太郎室生犀星萩原朔太郎直木三十五中里介山、阿部次郎、吉野作造長谷川如是閑宮武外骨大杉栄伊藤野枝平塚らいてう、他 
3、「尋常小学校唱歌」(主な曲)

  • 1) 第一学年用1911年(明治44)かたつむり、桃太郎、他17曲
  • 2) 第二学年用1911年(明治44)浦島太郎、紅葉、他18曲
  • 3) 第三学年用1912年(明治45)春が来た、茶摘み、他17曲
  • 4) 第四学年用1912年(大正元)春の小川、村の鍛冶屋、他16曲
  • 5) 第五学年用1913年(大正2)鯉のぼり、海、他20曲
  • 6) 第六学年用1914年(大正3)故郷、おぼろ月夜、他17曲      

4、 伊沢修二の3ヶ条

  • 1) 東西二様ノ音楽ヲ折衷シテ新曲ヲ作ル事
  • 2) 将来国楽ヲ興スベキ人物ヲ養成スル事
  • 3) 諸学校ニ音楽ヲ実施スル事

5、この頃の内外の主な出来事