蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史 「生い立ち」(4)

国語読本(1933〜1940)


昭和7年(1932年)
 進級すると一クラスに一個、新しいボールが配られる。これを投げたり蹴ったりして遊ぶことができるので休み時間が待ち遠しかった。廊下には各々の名前が付けられた新しい傘が並ぶ。いざという時のために用意してあったが、その傘も途中で雨が上がってしまうと遊び道具になる。車のようにくるくる回しながら帰えるのだからたまったものではない。新しい傘でもたちまち壊れてしまう。無理に開いて逆さにしてしまうこともあった。

 二年生になり随分学校にも馴れてきたが、途中の山道を一人で歩くのはどうしても嫌だった。黒坂、赤坂と二つの坂があるが家は一軒もない。墓とお堂があり、何となく気味が悪い。少しぐらい腹や頭が痛くても、あの山道を一人で帰えるのが怖いから早引なんかしたくなかった。私はとても臆病なのだ。


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昭和7年
満州国」建国(「目録20世紀1932」講談社


主な出来事
桜田門事件: 1月8日、昭和天皇が陸軍始観兵式からの帰途、先導の馬車に手榴弾が投げられ韓国人容疑者がその場で逮捕される。夕刻、犬養首相はが各閣僚の辞表をとりまとめ、不敬罪の責をとるために参内する。警視庁首脳部も辞表を提出。
・第一次上海事変: 1月28日、上海で海軍陸戦隊が中国軍と交戦する。この原因には関東軍参謀らの陰謀が絡んでいた。
血盟団事件: 2月9日、前蔵相井上準之助血盟団員小沼正に暗殺される。
・爆弾三勇士: 2月22日、上海戦線にて陸軍一等兵3名が爆弾筒を抱えて敵陣に突入し爆死。
満州国: 3月1日、関東軍満州国の建国を宣言。執政に清朝最後の皇帝溥儀をおき、年号を大同と定め首都長春は新京と改めた。独立国の形はとったが日本の傀儡国家であった。
血盟団事件: 3月5日、三井合名理事長團琢磨が血盟団員に暗殺される。
・大磯心中(坂田山心中): 5月9日、 神奈川県大磯駅北の雑木林で一組の心中死体が発見される。男は慶大生(24)、女は静岡の資産家の娘(22)であることが判明。この事件を機に名前のなかったこの雑木林一帯は「坂田山」と命名された。二人は結婚を反対されて心中したもので、以後自殺が一種のブームとなり、その年の心中事件は20組に及んだ。
チャップリン来日: 5月14日チャップリンが兄のシドニーと秘書の高野虎市とともに初来日。翌日に5・15事件が起こる。その日に犬養毅首相と会う予定であったチャップリンは、その気まぐれから相撲観覧に変更して事なきを得ている。
・5・15事件: 5月15日、海軍青年将校らが犬養首相、元大蔵大臣・井上準之助を射殺した事件。事件後、彼らは東京憲兵隊に自首する。
・第10回オリンピックロサンゼルス大会: 7月30日〜8月14日。日本のメダル獲得 金7、銀7、銅4 。南部忠平は15m72の三段跳び世界新記録で優勝。走り幅跳びでも3位に入賞。 100m背泳ぎでは金銀銅を独占し、1500m自由形で15歳の北村久寿雄が最年少優勝を果たした。
白木屋火事(注1): 12月16日9時15分、東京市日本橋区(現東京都中央区)の百貨店白木屋の4階から出火した火は7階まで燃え上がり、転落死も含めて死者14人、負傷者130人の大惨事となる。東京では初めての高層ビル火災であった。


流行り言葉や初登場のものなど
天国に結ぶ恋: 大磯心中が「純潔の香高く」「天国に結ぶ恋」「多摩に営む比翼塚」「大磯心中の麗しい結末」などと報道されたことから。また映画のタイトルにもなった。
漫談: 映画のトーキー化により失業した活動弁士たちがはじめた話芸。
その他にも
〜してはみたけれど・話せばわかる・問答無用・シャンプー・森永ソフトチョコレート など

モノ語り32「目録20世紀1932」


流行り歌やその年のレコード
童謡「電車ごっこ
オリオン・コール「肉弾三勇士」
市丸「天竜下れば」
小唄勝太郎「島の娘」「柳の雨」
松島詩子「Lucky Seven の唄」
中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ「山の人気者」
藤原義江「討匪行」
藤山一郎「影を慕いて」(注2)「金色夜叉
藤本二三吉満洲行進曲」
徳山蓀四家文子「天国に結ぶ恋」
和田春子「幌馬車の唄」
渡瀬春枝「時雨ひととき」
渡辺光子「旅は青空」
丸山和歌子「風も吹きよで」
小林千代子「涙の渡り鳥」



藤山一郎「影を慕いて」
https://youtu.be/_oY5WiaX3So


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注1)白木屋ズロース伝説: 当時は和服が普通で下着は腰巻きのみだった。 白木屋火事の一週間後、「若い女の事ゆえ、裾の乱れが気になって押さえたりしため手がゆるんで落ちてしまった」という白木屋百貨店専務の談話が朝日新聞に載る。しかしこうした事実は確認されていない。 ところが、「命綱ともいうべきものを放し惨死した」という都新聞の記事に発展し、「女店員の死因は羞恥心による」という通説が生まれ、ズロースの必要性が叫ばれるようになるのである。
注2)「影を慕いて」: ヒットしたのは前年の佐藤千夜子のものではなくこの年の藤山一郎のレコードだった。