蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史「 生い立ち」(12)

田植え


昭和15年(1940年)

 入学式には間に合わなかったが、どこか大人ぶって通った補習科も一年で終わる。そんな補習科で一生懸命に勉強したかと言うとそうではない。田植えなどの農繁期や雪の日は休んだ。そんな一年間だった。
 当時の日記があったので書いてみる。正月三日から家の仕事で、卒業時の記述は・・・ない。


一月三日 
隣の町へ装蹄にゆく。親戚の裏に蹄鉄屋があった。そこでやって貰う。二十銭饅頭を買って、勝とみついと馬とそして自分で食って残りをみやげにした。


一月四、五、六日
木の葉を馬で運ぶ。


一月七日
両親が新宅へ出征の準備に行った。大麦の土入れ。


一月八日
学校の三学期始め。午後、新宅の入営祝い。


二月十六日
このごろ写真にこる。安い写真機を買ってきて、現像したり焼付けをやったり。座敷を暗くしてやっていて叱られた。


三月三日
加藤の家が子供の火わすらで、すんでのこと火事になるところであった。


四月二十三日
代かき。


四月二十四日
苗代しめ。


四月二十五日
水稲の種子蒔き。
四月には苗代しめ水稲の種蒔き準備と、農家は忙しくなってくる。


五月五日
不動様の祭り。この日から青年団に入り、村の若い衆となって皆んなと一緒にやるようになる。



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昭和15年
紀元2600年(「目録20世紀1940年」講談社


主な出来事
・日独伊三国同盟:9月27日、日独伊三国同盟が成立。第2次世界大戦に参戦していなかった米国を硬化させ、ハル米国務長官は英国、中国への支援強化と日本への経済制裁を表明した。
大政翼賛会:10月12日、大政翼賛会発会式
・カラーフィルム:11月3日、小西六が国産初のカラーフィルムを発表。
紀元2600年(注):11月10日、天皇皇后出席のもと宮城前広場に約5万人を集めて奉祝式典が行われた。
スロバキア:11月24日、スロバキアが日独伊三国条約に加入。
内閣情報局:12月6日、政府は内閣情報部を廃止し内閣情報局を設置。


流行り言葉や初登場のものなど
贅沢は敵だ:国民精神総動員本部が「贅沢は敵だ!」の立看板1500枚を東京市内に設置。
零戦紀元2600年の末尾の0をとって零式艦上戦闘機と名付けられた戦闘機の略称。
一億一心:近衛首相のラジオ放送より。日本の人口が1億に達しようというときであり、国民が心を一つにして戦争を遂行しようという檄。

その他にも
バスに乗りおくれるな・隣組・国民帽・さくら天然色フィルム など

モノ語り40「目録20世紀1940」


流行り歌やその年のレコード
スリー・シスターズ「夢去りぬ
ディック・ミネ「雪の満州里」
古川緑波「ロッパ南へ行く」
伊藤久男「熱砂の誓い」「高原の旅愁」「暁に祈る」
灰田勝彦「森の小径」「燦めく星座」
高峰三枝子「湖畔の宿」
菅原都々子「風の又三郎
川田義雄とミルクブラザース「地球の上に朝が来る」
淡谷のり子「散りゆく花」
内田栄一「月月火水木金金
田端義夫「別れ船」「兄弟」「旅出の唄」
徳山蓀隣組
二葉あき子「めんこい子馬」
藤山一郎渡辺はま子「まわる笑顔」
霧島昇「誰か故郷を想わざる」
霧島昇 松原操「目ン無い千鳥」
霧島昇渡辺はま子「蘇州夜曲」



灰田勝彦「燦めく星座」
https://youtu.be/kKio36ambGw


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注)紀元2600年:神武紀元(前660年)から2600年のこと。