蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史 「生い立ち」(11)

零戦


昭和14年(1939年)
 さらば学校よ、三月には卒業だ。鉄道官吏になる人、東京の会社に就職する人、満蒙開拓義勇軍に入る人など、それぞれに道が決まると先生も安心するらしい。皆んな広い世界に放たれ、それぞれがばらばらになるが仕方がない。頼りになる人は近くにいなくなるがそれも仕方がない。しかし無性に寂しさを感じる。

 卒業式の四、五日前に先生に呼ばれ「答辞」を書いて来るようにと言われた。私は、それは先生が書いて生徒に読ませるものだと思っていた。六年生の時にも読んだがそれは先生の書いたものだった。ところが今度は自分で書いて来いと言う。そうなのかと思い、家へ帰って考えたが名案が浮かばない。親にも相談したが、それでもいい文句がでてこない。仕方ないと出来なりに綴って持参した。先生はそれを読んでから前年の「答辞」を見せてくれた。それを参考にしてなんとか書き上げた。

 このころになると国の内外とも戦争一色に塗り潰されてくる。子供心にもそれをひしひしと感じていた。男子であるから兵隊に憧れる。少年航空兵、少年通信兵、海軍などの募集が目に留まる。同級生にも何人か志願した者がいた。体格のいい二、三男の人達である。体の小さな人は合格しないから志願しない。しかし人間どこでどうなるか分からない、志願した体格のいい同級生で生きて帰った者は一人もいなかった。


 四月になってからのことだった。まだ可愛相と思ったか、親達はもう一年学校に出してやると言いだした。近くに共存道場があり、そこかと思ったらそうではなく町の補習科だという。補習科には近郷四町村からの生徒たちが通っていた。彼らは高等科の生徒に比べればはるかに大人っぽく、年下など相手にしない超然としたところがあった。それを高等科の生徒たちは真似ていた。


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昭和14年
零戦(「目録20世紀1939年」講談社

左下写真:三菱重工名古屋航空機製作所の設計陣。中央が映画「風立ちぬ」のモデル、主務設計者の堀越二郎技師。


主な出来事
・69連勝:1月15日春場所4日目、横綱双葉山が西前頭三枚目の安芸ノ海に敗れ、69連勝でストップした。3年間無敗であった。
・チリ沖地震:1月24日、チリ沖で地震。死者5万人、負傷者6万人。
護国神社:3月15日、全国の招魂社を護国神社と改称。
NHK :3月27日、有線によるテレビ実験放送を公開。
零戦:4月1日、試作第一号機完成。
・配給統制法:4月12日、日本で米穀配給統制法公布。
NHK :5月13日、無線によるテレビ実験放送を公開。
関門トンネル貫通:4月26日、下関門司間の日本初の海底鉄道トンネル。1936年に着工。
ノモンハン事件:5月11日、満州と外蒙との国境付近ノモンハンで武力衝突。ソ連軍は最新鋭の戦車部隊、重砲部隊を投入し、日本の第23師団の約7割が死傷し師団は消滅。9月15日、モスクワで休戦協定が成立。
ポーランド侵攻:9月1日、ナチスドイツの空陸軍がポーランドに侵攻を開始し、3日にはUボートがイギリスの定期客船を魚雷攻撃。イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦勃発。
・満蒙開拓義勇軍:6月7日、満蒙開拓青少年義勇軍壮行会が明治神宮外苑競技場で挙行される。
・ニッポン号:8月26日、毎日新聞社機ニッポンが世界一周目指し羽田を離陸。10月20日に目的を果たし帰国。
・結婚十訓:9月30日、厚生省が「結婚十訓」を発表。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げる。


流行り言葉や初登場のものなど
靖国の母:靖国神社例大祭に参列した子を失った遺族のこと。
その他にも
産めよ殖やせよ国のため・日の丸弁当・ヤミ・赤マント・白紙 など

モノ語り39「目録20世紀1939」


流行り歌やその年のレコード
童謡「ないしょ話」
ディック ミネ「上海ブルース」「旅姿三人男」
霧島昇、ミス コロンビア「一杯のコーヒーから」
淡谷のり子「東京ブルース」
塩まさる「九段の母」
岡晴夫「上海の花売娘」「港シャンソン
笠置シヅ子「ラッパと娘」
小林千代子「旅のつばくろ」
淡谷のり子「夜のタンゴ」「鈴蘭物語」
田端義夫大利根月夜」「島の船唄」
渡辺はま子「長崎のお蝶さん」「何日君再來」
李香蘭「何日君再來」
東海林太郎「名月赤城山
藤山一郎「懐かしのボレロ」「せめて淡雪」
二葉あき子「蘭の花」「古き花園」
美ち奴「吉良の仁吉」
米山博夫「従軍記者日記」



李香蘭「何日君再來」
https://youtu.be/LZCzAgys8fg