蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

父の自分史 「生い立ち」(5)

御真影


昭和8年(1933年)
 一、二年は女先生が受持ちだった。三年になりどんな先生が来るのかと待っていると、男先生が入って来て、いきなり黒板に自分の名を書いた。それを見て皆んな笑った。詰襟服姿の若くて元気な先生に戸惑い、それを隠そうとしたのかも知れない。ただ男先生で嬉しかっただけなのかも知れない。いや、黒板の「持吉」という名が面白かったからかも知れない。それらの一つに限らないのかもしれないがみんな笑ったのである。女先生は優しかったがこれからは違う。幼い小学生にもそうした諦めあるいは覚悟のようなものもあったのだろうと思う。今度は男先生だ。たちまち叩かれる。期待もあったが、実はそんな怖さもあったのだ。
 ただその後になって知るのだが、先生は師範出ではなく代用教員だった。だから他の先生方に気兼ねしているようでかわいそうな気もした。それは子供心にも分かった。


 そのころは元日、紀元節天長節明治節四大節には式があった。その日の講堂には御真影が飾ってあった。校長は教頭の捧げる教育勅語を恭しく受取り厳かな口調で読む。私たちは静かにそれを聞いていた。その後、君が代を歌い校長の話を聞きそして祝いの菓子を貰う。それで私たちはその日をお菓子貰いの日と呼んでいた。元日は蜜柑であった。その日、私は母がその日のために作ってくれた絣の着物と羽織りそして縞の袴を身に着けて学校へ行った。


***********************
昭和8年
国際連盟脱退(「目録20世紀1933講談社


主な出来事
国際連盟脱退: 2月14日、国際連盟の19人委員会はリットン報告書を採択し、満州国不承認を全会一致で可決。24日、連盟総会で賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム・現タイ)で「報告書」が採択されると、日本代表団は退場した。3月27日、外相は連盟事務総長に脱退を通告し、日本は「世界の孤児」となった。
小林多喜二拷問死: 2月20日、作家小林多喜二治安維持法違反容疑で逮捕され、特別高等警察の拷問により虐殺される。
三陸地方大地震 : 3月3日、M8.1の大地震があり、死者3021名、不明43名、負傷968名の被害を受ける。
・軍国化教科書の登場: 4月 国定教科書の改訂が実施され、「サイタ サイタ サクラガ サイタ、ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」で始まるサクラ読本が登場するなど、「忠君愛国」の精神を鼓舞することを目的とする教科書が使われるようになる。
・京大滝川事件: 5月26日、鳩山一郎文相が京都帝国大学教授滝川幸辰の辞職を総長小西重直に要求したのに対し、法学部は全教授の辞表で文部省に抗議したが、文部省は滝川教授を休職処分にする。
ゴーストップ事件: 6月17日、大阪市天神橋筋の交差点で、赤信号を無視して渡ろうとした陸軍一等兵と交通整理中の巡査がけんかになる。これが皇軍と府警の対立として泥沼化し、事件目撃者の自殺や巡査の告訴騒ぎにも発展したが、5ヵ月後、警察側の譲歩で和解が成立した。
丹那トンネル貫通: 6月19日、着工より15年2箇月後のこと。
・ドイツ連盟脱退: 10月14日、ドイツが国際連盟を脱退。
・蚕糸恐慌: 11月8日、生糸暴落し産繭、生糸の輸出が統制された。
・皇太子誕生: 12月23日早朝、昭和天皇に第5子の長男(明仁天皇)が誕生した。合図にサイレンが2度鳴らされ、各地で堤灯行列が行われ花火が打ち上げられた。


流行り言葉や初登場のものなど
受験地獄: この年に新聞に登場した言葉。3月に中学校試験が一斉に展開。
ナンセンス: たわいもない話の意。後に学生集会などで相手の意見を排除するときに使われるようになる。
その他にも
ゴーストップ・トマトジュース・丹頂チック・トクホン・鳴った鳴ったポーポー など

モノ語り33「目録20世紀1933」


流行り歌やその年のレコード
市丸「天龍下れば」
小唄勝太郎「さのさ節」「娘心」「大島おけさ」
小唄勝太郎、三島一声「東京音頭
ミス・コロムビア「19の春」
中野忠晴「旅がらす」「山の人気者」
徳山たまき「敵機襲来!」
赤坂小梅「月は宵から」
川畑文子「いろあかり」「キューバの豆売り」「泣かせて頂戴」
丸山和歌子「春じゃもの」「千夜子の唄」
渡辺光子「街の流れ鳥」


小唄勝太郎、三島一声「東京音頭
https://youtu.be/0tkqwyXc87o