蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代19、懐かしの久保講堂

 さらにRCサクセション森昌子
 かって霞ヶ関にあった久保講堂は84年3月に閉館となり、とり壊されて今はない。両者ともここをコンサートの会場としているが、共に思い出深いものであり記念すべきものである。森昌子は初めてのコンサートがここだったし、RCサクセションはここでのコンサートでロックバンドとしての地位を確実なものとした。共に通過点の一つに過ぎないが、その通過点が同じ場所にあるのもまた縁というものだろう。
 今回の「RCサクセション森昌子」は久保講堂。今その跡地には「新霞ヶ関ビルディング」が建つ。以前の久保講堂に関する記事を参考までにリンクします。そしてその跡地の今の様子を何枚かの写真でご覧ください。その写真をぼんやりと眺めながら、ふと、「時代は人を待たないのか」と思ったりもした。感傷的である。

時代7、森昌子と劇場(2)
http://d.hatena.ne.jp/eight5881/20110117


1)中央の薄茶色の建物が久保講堂の跡地に建つ「新霞ヶ関ビルディング」

2)「新霞ヶ関ビルディング」正面

3)青年の樹「新霞ヶ関ビルディング」の入口左手にあり、「1958年10月 渡辺義知 霊友会から久保講堂に寄贈された」とある。1958年10月の久保講堂竣工時に贈られたものらしい。

4)霞ヶ関ビルと合同庁舎の間に見える薄茶色の建物が「新霞ヶ関ビルディング」。ここを左に行くと少し遠いが豊川稲荷である。右に進むと10分くらいで日比谷公園に着く。さらに15分ほど歩けば「帝国劇場」や「よみうりホール」のある有楽町駅前である。この日は日比谷公園まで歩いた。修学旅行生が昼食をとっていた。

 RCサクセションは、77年破廉が体調を崩して抜けた後にカルメンマキ&OZのギター春日博文が加わり、フォークからロック・R&Bへとエレクトリック志向を鮮明にしていく。そして同じ頃に忌野がデビッドボウイやKISSの影響もあってメイクを始めたこともあり、当時はその音とスタイルの衝撃の大きさからパンクロックと評されることが多かった。さらに古井戸時代からサポートギターとして参加していた仲井戸麗市とミスター・スリム・カンパニーの新井田耕造が正式に加わり、RC黄金期を形成する基礎が出来上がる。この頃になると初期の3人組のフォークグループとは別のバンドのようである。

 そして80年、久保講堂でのワンマンライブ「LIVE!RCサクセション」。その直前の渋谷のライブハウス「屋根裏」や渋谷公会堂のジョイントコンサートで既に注目されていたが、この久保講堂でのライブで人気を不動のものにする。この4月のライブは、6月に「RHAPSODY」として発売される。この時のメンバーは忌野清志郎(ボーカル・ギター)、小林和生(ベース)、仲井戸麗市(ギター・ボーカル)、新井田耕造(ドラムス)、小川銀次(ギター)。この後もRCはメンバーを入れ替えながら91年まで活動を続けるが、一般的には次のように説明される。

 RCサクセションは、日本のロックバンド。 忌野清志郎をフロントマンとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど日本語ロックの成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセションに影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。また、彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。(ウィキペディア

 勿論この頃のRCサクセションもいいが、私は初期の3人組への思い入れが強い。また、演歌歌手では坂本冬美との関係が深く、90年4月の東芝EMIのイベント「ロックの生まれた日」でユニット「SMI」としてステージに立っている。


RCサクセション「雨あがりの夜空に」(80年久保講堂)
http://youtu.be/hVRPVwF6f6M


 そして森昌子。彼女はデビューから2ヶ月と経たない72年8月に最初のコンサートを開く。オリジナルの持ち歌は「せんせい」一曲のみの時であり、曲目は次のようなものだった。「17才」「瀬戸の花嫁」「わたしの城下町」「悲しみの日曜日」「恋する季節」「太陽がくれた季節」「友達よ泣くんじゃない」「ひとりじゃないの」等。そして自前の「せんせい」と発売前の「同級生」、さらにそのB面「太陽の花嫁」「初恋の赤い傘」である。
 このコンサートの模様は翌9月に放送され、ライブ盤「ファーストコンサート」は11月に発売される。少し間が開きすぎていると思われるが、10月25日発売の2曲目のシングル盤「同級生」がこのコンサートで歌われており、「同級生」発売前にこのライブ盤を発売することはできなかったのだろう。このコンサートからは「太陽がくれた季節」をピックアップ。そしてもう一曲は偶然に見つけた「ひとつの地球に生まれて」。

 「太陽がくれた季節」は青い三角定規が歌うドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌であり、「ひとつの地球に生まれて」はその挿入歌で村野武範が歌ったもの。これは72年2月から73年2月までの1年間放送され、森昌子がファンだったと公言する村野武範が熱血教師を演じたドラマである。多分彼女も見ていたろう。そして73年4月に二人は「としごろ」で共演することになる。


森昌子太陽がくれた季節」(72年久保講堂)
http://youtu.be/DEePuGWzNI4
村野武範「ひとつの地球に生まれて」(飛び出せ!青春」挿入歌)
http://youtu.be/SOkXUiy2xB0


 「ひとつの地球に生まれて」は、2年後の74年に「われら青春!」の挿入歌としてヒットした「ふれあい」の原型的な楽曲。色々と書く材料を探しているうちに村野武範のこの曲に出会った。「ふれあい」のように澱みない流暢さではなく、どこかに武骨さを残した歌唱や歌詞が心に残る。個人的な好みでいえば、「ふれあい」よりもこの「ひとつの地球に生まれて」の方がいい。

 確かに時代は人を置き去りにする。時代に追いつくために人は時空を超えねばならない。「物質ではない精神の問題なのか」ふと、こんな考えが頭をよぎった。時代は人を感傷へと誘う。