蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代18、青年の想いと少女の抒情

 引き続きRCサクセション森昌子
「十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました」
 69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。忌野清志郎の母からだった。
「大学へ行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」
 こう言って、気をもむ母親を説得したのが日野高校の担任小林晴雄先生だった。「ぼくの好きな先生」のモデルになった人である。忌野清志郎はこの美術部の顧問でもあった小林先生を慕い、美術部員ではなかったがそこで絵を描くこともあったという。その交流はデビュー後も同じで忌野が亡くなるまで続いた。(「ぼくの好きな先生」秘話 asahi.com


RCサクセション「ぼくの好きな先生」
http://youtu.be/ZHSnb5XsYDM


  そして、森昌子…。「それまで、悪く言うと、どぎついばかりの詞を書き続けていたぼくにとって、童画風色合いの抒情詞は、自分でもいいのか悪いのかわからず、およそ頼りない気持ちであった」といいつつ、阿久悠は茶の間を意識していた。時代が変わりつつあるのは解っていたが、それでもこの歌の送り先は茶の間だった。



森昌子「せんせい」
http://youtu.be/YbrPJ57yX_g