蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代15、過ぎ去りし時の日常

 

 井上陽水森昌子の第3弾「過ぎ去りし時の日常」のテーマは「祭り」である。井上陽水は「夏まつり」、森昌子は「港のまつり」がその対象となる。

 祭りとは祀るの名詞形で本来は神を祀ること。またはその儀式を指すものであったが、漢字の流入により祭り、奉り、祀り、政り、纏りなどの文字が充てられ、同時に漢字の由来となる意味を持つようになる。ただ、今では祭りと祀りは同義であり、祀りと奉りも同義といわれる。参考までに前述の由来による意味を記すと次のようになる。

  • 祀り 神、尊に祈ること。
  • 祭り 命、魂、霊、御霊を慰めることだが、本来の意味は葬儀のこと。
  • 奉り 奉るとも読み、献上や召し上げる、上に見るなどの意味。
  • 政り 古神道おいては祭祀を司る者と政治を司る者が同一であったことから、つまり祭政一致であることからこう表わす。 

 「まつり」は、本来、超自然的存在への様式化された行為で、祈願、感謝、謝罪、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われた。これが祭祀である。この祭祀は定期的に行われるとは限らず、年中行事や通過儀礼と関連して行われることが多い。このことによって日常生活のサイクルと深く結びつき、民俗学でいう「ハレとケ」のハレ(非日常性)の空間、時間を象徴するものになるのである。
 そして時を経て、共同体全体によって行われ共同体統合の儀礼として機能したものが、さらに共同体が崩壊し都市が出現すると、都市民の統合の儀礼としての機能を強め娯楽性が追求されるようになる。つまり「まつり」は、神事→儀礼→娯楽へと変化していくのである。 また祭祀と祭礼に厳密な区分はなく、それは便宜的な区分に過ぎず、そして世界各地で多様な形を示すが、原初の祭は一つの信仰に基づいていたと考えられる。すなわち農耕民族の社会にあっては豊穣への感謝や祈りがその基であった。

 我らが持つ祭りへの心高鳴る想いは、心の奥に秘め置かれたこの非日常に対する追憶の顕れなのかもしれない。非日常と日常、人はその双方を必要とするのだろう。それでは追憶していただこう、井上陽水のセンチメンタルと森昌子の望郷を。非日常にその精神を委ねながら…。


井上陽水「夏まつり」
発売:1972年「陽水II センチメンタル」
動画:「陽水ライヴ もどり道」(1973年)これは1973年4月14日におこなわれた新宿厚生年金会館小ホールでの「陽水リサイタル」を収録した井上陽水初のライブアルバム。
http://youtu.be/wXrwLjTIsZQ


森昌子「港のまつり」
発売:1977年、動画:1981年
http://youtu.be/4hu9xBQF_7M


 この港は東北地方の太平洋側との印象があったのだが、期せずもそれはこのたびの被災地域だった。心が痛む。ただ彼女が避難所で歌う姿を見て少し安堵した。望郷、被災、伝統、慰問、復興などの言葉が煩雑に交差する。人は己のために生きるのではない、他人がために生きるのである。あらためてこんな言葉を思いだした。
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注:祭りに関する記述はウィキペディアを参考にしており、一部はそのまま引用、一部はその表現を変えている。