蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代25、森昌子と劇場(5)

6、歌舞伎座

1976年「5周年記念」
1986年「ファイナルコンサート」 

 福地桜痴(源一郎)が千葉勝五郎と謀って、明治22年11月に建設開場したのがこの劇場である。
 俗に団、菊、左と呼ばれた九世市川団十郎、五世尾上菊五郎、一世市川左団次が共演してこけら落しをした。開場時の定員1642人。一幕見席270人。年4回の定期興行であった。
 大正10年の失火、関東大震災、戦災と三たび消失し、昭和26年現在の建物が落成した。客席2577、舞台間口27mの大舞台である。(「明治東京名所図会」講談社


初代歌舞伎座(「新撰東京名所図会」明治34年

 初代歌舞伎座が改修されるのは帝国劇場ができた明治44年であるから、この絵が最初の姿だと思われる。絵:山本昇雲(松谷) 

 昔はここ(中央区東銀座)は木挽町といい、中村座森田座山村座市村座という4劇場があった。正徳4年(1714)有名な絵島事件で山村座が断絶し、以来中村、森田、市村座江戸三座として明治まで続いてきた。(「明治東京名所図会」講談社

 歌舞伎座の建物の変遷がイマイチはっきりしなかったが、この本でそれが分かった。最初の建物は洋風(上段)であったが、明治44年にできた帝国劇場も洋風であったため、その年の改修で和風の宮殿造りとしたのだ。(中段)これが2代目の建物で、そして大正13年開場の3代目の建物(下段)は桃山風の造りとなった。「新撰東京名所図会」は、その開設当時の上段の建物を描いたものだった。


「なつかしき東京」講談社1992年


歌舞伎座略歴
第1期(1889年竣工)
1889年(明治22)11月21日開場式。翌日にこけら落とし
第2期(1911年竣工)
1914年(大正3)松竹の直営劇場になる
1921年(大正10)10月30日漏電により焼失
1923年(大正12)9月1日再建工事中に関東大震災に見舞われる
第3期1924年12月竣工、1925年1月開場)
1925年(大正14)1月4日新築の建物で開場式
1945年(昭和20)5月25日東京大空襲で大屋根が落ち、内部を焼失
1949年(昭和24)株式会社歌舞伎座設立
第4期(1950年12月竣工、1951年1月開場)
1951年(昭和26)1月3日復興した建物で開場式(こけら落し)
1952年(昭和27)東京証券取引所市場第二部に上場
1952年(昭和27)美空ひばり公演(女性初)
1976年(昭和51)森昌子5周年記念公演
1986年(昭和61)森昌子ファイナルコンサート
2002年(平成14)登録有形文化財(建造物)に登録される
2010年(平成14)同登録抹消
2010年(平成22)4月30日老朽化による建て替えのため閉場式を以て一時閉館


4代目歌舞伎座

 開設以来、失火、関東大震災東京大空襲などにより被害を受け、また経営者の交代などで経営の危機を迎えたりしたが、その都度再建されて現在に至っている。平成22年に老朽化による建て直しのため閉館となり、現在建設中で、5代目は25年春オープンの予定だという。


 森昌子はここで2度公演を行っている。それは共に4代目の建物の時で、既にその建物はないが、その公演の一つが印象深い引退公演であった。

 歌舞伎の専用劇場であったここでのはじめての女性公演は、1952年の美空ひばりによるものであったという。その後1980年代までのレビューや歌謡ショーなど歌舞伎以外の催しが行われることもあったが、1993年(平成5年)以降、松竹の方針により「歌舞伎の本拠地」として原則通年で歌舞伎を興行することとなり、現在に至っている。


森昌子「ファイナルコンサート1」
http://youtu.be/GxQDoXUh6es
森昌子「ファイナルコンサート2」
http://youtu.be/2cj9b7uV1U0