蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代9、森昌子と劇場(4)

5、浅草国際劇場
1974年「初のワンマンショー」

  • 正式名称:国際劇場
  • 所 在 地:東京都台東区西浅草3-17-1
  • 完  成:1937年
  • 開  館:1937年7月3日
  • 開館公演:松竹少女歌劇披露興行
  • 閉  館:1982年4月4日
  • 最終公演:松竹歌劇団豪華公演・第51回「東京踊り」
  • 客  席:3,860 席
  • 用  途:演劇、音楽公演
  • 運  営:松竹株式会社
  • 跡  地:浅草ビューホテル

 正式名称は国際劇場であるが、この名は全国各地にあり区別するために地名をつけてこう呼ばれる。

 浅草のこのマルミヤレコードは演歌中心の店で、浅草公会堂の近く、右手に伝法院や浅草寺の建物が見える所にあった。前方に進むと浅草の中心、六区の広い通りに出る。その六区の通りを抜けると国際通りである。浅草国際劇場はその通りを渡って右に進むと直ぐ左側にあった。いつものようにつぐみが真っ先に店主に挨拶に行くと、「つぐみちゃん、来年は浅草国際でワンマンショーだ」と、店主もまた、いつもの通りの言葉を返してくる。浅草国際劇場はつぐみにとって夢の舞台だった。 
 西の宝塚、東のSKD(松竹歌劇団)と言われたそのSKDの本拠地が浅草国際劇場である。大東京の浅草名所と謳われ、「東洋一の五千人劇場」といわれ、東京大空襲時の被弾後も再興されたが、1937年に松竹少女歌劇によって杮落としされた建物は老朽化が進み、この6年後の1982年に取り壊されることになる。(「松葉の流れる町」より)

 74年3月、初の浅草国際でのワンマンショーは同時に卒業記念でもあった。彼女はこの3月に港中学校(現:三田中学校)を卒業し、小野学園に入学する。しかし在籍は数ヶ月だったらしく、直ぐに堀越高校へと移る。尚、この小野学園の先輩には三沢あけみがおり、近年に二人が同じステージに立つ姿が見られた。
 浅草国際での75年から78年までの4年間は正月公演となり、最後の78年は7周年に当たる。だが、他の4回のライブ盤は発売されたが、この劇場最後であり尚且つ7周年でもあった78年のライブ盤は発売されていない。何故だろう、不思議である。この推測を私見ではあるが、武道館か帝国劇場の項目で書いてみたいと思う。尚、7周年記念盤はその年9月の帝国劇場でのものが「青春の熱唱」として発売されている。この劇場は前述の通り82年に姿を消すことになるが、後々の見通しもあったろう、79年からはコマ劇場がその舞台となるのである。


 浅草国際ライブ盤タイトル

  • 74年「卒業記念森昌子ショー」
  • 75年「おめでとう森昌子ショー」
  • 76年「5周年森昌子ショー・初姿七変化」
  • 77年「演歌に涙と青春を」
  • 78年 なし


 75年「おめでとう森昌子ショー」より「下町の青い空」「浅草の白い鳩」「潮来花嫁さん」の三曲です。当時の森昌子玉置宏、そして国際劇場の雰囲気に溢れている。もう、浅草寺の改装は終わったのだろうか。60morimoriさんのチャンネルでご堪能下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=M-2tcp3Z6WE