蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代24、森昌子と「南国土佐を後にして」

 

 森昌子が生まれて初めて歌った歌は「南国土佐を後にして」だという。一説によるとそれは1才と7ヶ月の頃と言われ、月を数えると1960年の5月頃になる。
 「南国土佐を後にして」はその前年5月にペギー葉山のレコードとして発売されると、またたく間に全国にひろまって大ヒットとなっていた。この頃の経緯は以前の「森昌子私論2-3」(注1)でも書いたことがあるので、興味ある方にはそちらをご覧頂くとして、さらにこの歌は同じ年の8月に日活で映画化され、その映画にペギー葉山は実名で出演していたのである。
 これは日活黄金時代幕開けの第2弾となった映画だった。というのは主演した小林旭はこの映画で脚光を浴び、後の渡り鳥シリーズに繋がるからであり、マイトガイ注2)の誕生となるからである。また小林旭浅丘ルリ子のコンビもこうして誕生するのである。
 年月を記すと次のようになる。


 1958年10月  森昌子誕生
 1959年5月  ペギー葉山「南国土佐を後にして」発売
 1959年8月  日活の同名映画公開
 1960年5月  森昌子1才7ヶ月


 1960年というと、どうしても真っ先に安保が浮かぶ。その60年と前年59年の世相や時代を探る観点から、主な出来事や流行などを最後に記す。記憶のある方は懐かしいかもしれない。
 ハガチー事件(注3)のあった頃だろうか、赤木圭一郎は、撮影の合間に羽田の方向をじっと見つながら何か考える風だったという。同じ年代の若者たちの滾る心に思いを馳せていたのだろうか。どのような心境であったにしろ、赤木圭一郎もまた揺れ動く時代の揺れ動く若者の一人であった。この時、赤木圭一郎は21才。ゴーカート事故が翌年の2月に待ち受けていることを知らない。


 それではこの映画である。そして森昌子の歌を聴いて頂こう。この頃になると彼女の歌唱は相当に洗練されているのがお分かりになると思う。そしてその後に、59年60年の主な出来事などを列記するのでご覧頂きたい。


映画「南国土佐を後にして」(1959年)
出演者:小林旭浅丘ルリ子内田良平
映  画:http://youtu.be/UEuoqhp_2vc
南国土佐を後にして - goo 映画


 渡り鳥シリーズの発端となる映画でまだマイトガイ旭ではないし、ヒロイン浅丘ルリ子もひたすら可憐である。しかし渡り鳥シリーズになると、ヒロインはもうこんなセリフは言わないし、ラブシーンなどもない。だから少年は観たのである。これは少年には少し甘過ぎる。こんな甘い映画であったなら次の映画は観なかったろうし、勿論シリーズ化はできまい。しかしこれがマイトガイ誕生のきっかけになった作品には違いなく、その意味では一見の価値ありというところか。

 『ギターを持った渡り鳥』のラストシーンでのこの台詞。渡り鳥シリーズのラストシーンはこうでなくてはならない。


「由紀ちゃん、俺は、あんたになんと言って詫びたらいいのか」
「いいの、みんな父が悪かったんです。私も悪い娘でした。今度お会いする時は、きっと素直ないい娘になっています。…あたし」
「伸次さん、きっとまたいらしてね。お待ちしてますわ、私たち」
「ええ」
 …
「由紀ちゃん、あの方きっと帰ってくるわ」
「二度と来ない」
「何故…」
「わかってるの。あの人のことは何でもわかるの」


 ヒロインはひたすら耐える。ヒーローはその弱さを見せない。だから少年は思うのである。
 「居てやれよ。彼女がかわいそうだろう。なんで行っちゃうんだよ。シェーン、カムバック!」
 そして、次作を待つのである。


森昌子「南国土佐を後にして」(1983年)
http://youtu.be/TfPxv_s0p3c


1959年
主な出来事
1月  NHK東京教育テレビジョン開局
2月  フジテレビ放送を開始
2月  日本教育テレビ(NET)放送を開始
4月  皇太子明仁(現天皇)と正田美智子の結婚
5月  1964年の東京開催決定(国際オリンピック委員会
9月  伊勢湾台風注4
11月 安保反対デモ2万人、国会突入

流行、社会現象、新商品、ヒット商品等
カミナリ族(注5)、タフガイ(注6)、トランジスタ・グラマー、岩戸景気注7)、月給二倍論、合ハイ(合同ハイキング)ブーム、日本史ブーム、若い根っこの会、全学連全日本学生自治会総連合)、バンドエイド、ベビーパウダー 、カッターナイフ、缶詰ビール

ベストセラー、出版書籍、内外の公開映画等
にあんちゃん、日本唱歌集(注8)、にあんちゃん(映画)、人間の条件(映画)、ベン・ハー (映画・米)お熱いのがお好き(映画・米)

テレビ番組
スター千一夜、おとなの漫画、ガンスモークヤン坊マー坊天気予報、番頭はんと丁稚どん、とんま天狗(注9)、ホームラン教室、少年ジェット、まぼろし探偵注10)、七色仮面、ローハイド

この年流行した歌
南国土佐を後にして、古城、キサス・キサス・キサス(ザ・ピーナッツ)(注11)、黄色いサクランボ、黒い花びら(注12)、ギターをもった渡り鳥


1960年
主な出来事
2月  浩宮誕生
5月  チリ地震津波注13
6月  安保騒動
7月  岸内閣から池田内閣へ
8月  ローマオリンピック注14
9月  カラーテレビ放送開始
10月 浅沼委員長刺殺(注15
12月 石原裕次郎北原三枝が結婚
12月 国民所得倍増計画を閣議決定

流行、社会現象、新商品、ヒット商品等
家つきカーつきババア抜き(注16)、ナンセンス、私は嘘は申しません(注17)、ツイスト、ドドンパ、チャールストン、 だっこちゃん、Gパン(注18

ベストセラー、出版書籍、内外の公開映画等
性生活の知恵(注19) 、頭のよくなる本、どくとるマンボウ航海記、ゼロの焦点、青春残酷物語(映画)、悪い奴ほどよく眠る(映画)、アパートの鍵貸します(映画•米)、アラモ(映画•米)、太陽がいっぱい(映画・仏)、サイコ(映画・米)、チャプリンの独裁者(映画・米)、荒野の七人(映画・米)(注20

テレビ番組
自然のアルバム、白馬童子、怪傑ハリマ、オララミー牧場、少年探偵団、ライフルマン、琴姫七変化、それは私です

この年流行した歌
誰よりも君を愛す潮来花嫁さん、アカシアの雨が止む時(注21)、ダンチョネ節 、哀愁波止場、ズンドコ節 、潮来笠(注22)、霧笛が俺を呼んでいる


 この頃の日本は高度経済成長の真っただ中にあった。そうした時代は振り返ってみて初めて気づくことが多い。それは人が理性ではなくその大部分を感情に委ねて生きてきたからで、その感情が冷めた眼にしか見えないのかもしれない。少年の眼と今の私の眼にある違いはそういうものなのだろう。
 その高度経済成長の中にも景気の波はあり、名付けられた好景気の期間が3度記録されている。戦後から現在までの好景気の期間は以下のようになる。


 神武景気(31ヶ月)1954年(昭和29年)12月〜1957年(昭和32年)6月
 岩戸景気(42ヶ月)1958年(昭和33年)7月〜1961年(昭和36年)12月
 いざなぎ景気(57ヶ月)1965年(昭和40年)11月〜1970年(昭和45年)7月
 バブル景気(数年間)1980年代終盤〜1990年代初期まで
 いざなみ景気(73ヶ月)2002年(平成14年)2月〜2008年(平成20年)2月


 高度経済成長期は、1954年12月から1973年11月までの19年間といわれ、神武景気岩戸景気いざなぎ景気はその中の好景気の期間なのである。そして現在の日本は、いざなみ景気が収束した後の長い不景気に中にある。やむを得ん。森昌子を聴いて時を過ごそう。
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注)主な出来事や流行などはこれが全てではなく、当ブログに関係ある、或いはありそうなものを優先して選んでいる点をご理解ください。


注1)「森昌子私論2-3」:2-3 森昌子の原点「南国土佐を後にして」 - 蜂太郎日記
注2)マイトガイ小林旭の代名詞だが、マイトガイ旭のように冠言葉風に使われることが多い。
注3)ハガチー事件:1960年6月10日、羽田空港であったアメリカ大統領秘書官ハガチー・アイク訪日阻止行動。この時ハガチーは、ヘリコプターで騒乱の中を脱出した。
注4)伊勢湾台風:死者・行方不明者5,098人、負傷者38,921人、被害家屋833,965戸。室戸台風枕崎台風と昭和の三大台風と言われ、その中でも最悪の被害をもたらした。
注5)カミナリ族:暴走族のはしり
注6)タフガイ:石原裕次郎の代名詞。赤木圭一郎はクールガイと言われた。
注7)岩戸景気:戦後2度目の好景気。1958年7月〜1961年12月の42ヶ月間
注8)日本唱歌集:岩波文庫唱歌をあまり知らず、このブログを書くにあたって読ませていただいた本のひとつ。
注9)とんま天狗:大村崑主演のコメディ時代劇。主題歌の中のこの歌詞「姓はオロナイン名は軟膏」は流行語となった。
注10)まぼろし探偵:少年画報に連載された桑田次郎の漫画。テレビやラジオでも放送された。吉永小百合吉野さくら役として出ていたことでつとに有名。私の家にテレビはなかったが、ラジオ放送を聴いた記憶がある。
注11)キサス・キサス・キサス:トリオ・ロス・パンチョスやナット・キング・コールの歌で知られるが、これはその年デビューしたザ・ピーナッツが歌ったもの。
注12)黒い花びら:水原弘の曲でその年から始まったレコード大賞受賞曲。
注13)チリ地震津波三陸海岸を中心に東北・北海道で大被害。死者139人、家屋全半壊4100、流失1200。三陸海岸で最大6mの津波があった。
注14)ローマオリンピック:裸足で走ってマラソンを優勝したアベベが有名。次回の東京でも優勝して2連覇するが東京では靴を履いていた。
注15)浅沼委員長刺殺:「森昌子私論2-5」で触れたことがある。
注16)家つきカーつきババア抜き:若い女性が希望する結婚相手の男性の条件をいった言葉。
注17)私は嘘は申しません:池田首相の言葉。総選挙時に自民党のテレビCMに使われた。
注18)Gパン:日本での流行は、1955年の映画「理由なき反抗」でのジェームズ・ディーンを若者が真似たからとされる。しかし元々は、1870年ゴールドラッシュに湧くアメリカで、キャンバス生地に銅リベットでポケットの両端を補強して作った鉱夫用のワークパンツと言われる。
注19)性生活の知恵:こんな本がベストセラーだった。キンゼイレポートが頻繁に引用されていた「女性は翼を得た」なる本もあった。タイトルが違うか?この年より以前の本だと思うが、私は親に隠れて読んだ。読んだのはもう少し後の頃かもしれない。
注20)荒野の七人(映画・米):黒澤明七人の侍」のリメイク西部劇版。志村喬の役はユル・ブリンナーが演じた。
注21)アカシアの雨が止む時:西田佐知子の歌。学生運動家たちがよく歌った。
注22)潮来笠:橋幸夫のデビュー曲。この年のレコード大賞新人賞受賞曲。