蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

時代12、過ぎ去りし時の行方


 今回は「過ぎ去りし時の行方」と題して井上陽水森昌子を並べるが、導入映像は「森昌子十八ゆれる心の想い」と題された次の動画である。
http://youtu.be/sZat1rU00Ps


 森昌子を考える時、やはり時代は重要な意味を持つ。それを18歳の彼女が考えていたとは驚きである。胸に沁みる。当時、自分と時代を考えた若者がいただろうか。彼女は自分の置かれた立場を理解しようと努めていた。それは楽しみや喜びばかりではなく、苦しみや悲しみをも同時に背負わなければならぬ立場を理解しようと努めたということだろう。
 森昌子に限らず18歳の若者が不安定な均衡状態あることは当然としても、それが若者特有のそれのみならず時代という巨大な箱舟の中での努力を余儀なくされていたとするなら、それは如何ともしがたく同情に余りある。その理解への努力に苦しみがあるなら時代が自分に有利か不利かは瞭然なのだが、それでも人は苦しみや悲しみを抱えたまま進まねばならない。そんな時は時々脇道に逸れ、そっと物陰に置き去れば良いのだが、さて彼女はどうしていたのだろう。ただ、アメリカ西海岸はこの物陰にはなったろう。


 「少しは私に愛を下さい」
 これは1974年に発売された小椋佳6枚目のアルバムに収録された1曲で作詞作曲はともに小椋佳。歌唱は森昌子が77年の「ビッグショー」、陽水は時期不明だが80年前後。小椋佳のコンサートに来生たかおと共にゲストとしての出演である。しかしこのゲストは事前に観客に知らされていなかったことが観客の反応から推測できる。当時であればこれはど肝を抜く出演だったろう。
 小椋佳は75年布施明に提供した「シクラメンのかほり」で17回のレコード大賞を受賞し、一躍売れっ子となっていた。東大出の銀行マンがそのエリートの道を捨てて歌作りと歌手業に転進したことで話題になった人でもある。その人のコンサートでのこの三人の映像は素晴らしいの一語に尽きる。新たな潮流の勢いを感じる。
 余談だが「かほり」は旧仮名遣いでは「かをり」が正しい。何故「かほり」としたか不勉強で知らないが、もしかしたら名前にこう表記する人がいたのかもしれない。それとも単に「かおり」ではなく「かほり」とそのまま読ませるものか。


 70年代は、日本の歌謡界が若者嗜好の新たな音楽の潮流に巻き込まれ、その並存を余儀なくされる時期で、隆盛を誇った「流行歌」はその言葉自体が消えかけており、歌謡界全盛の時代は下降の道を辿り始める頃でもある。人は世につれ世は歌につれというが、歌もまた世につれるのである。生々流転の万物は変遷するの道筋に沿うのである。その頃に自尊を隠して自嘲気味にアングラを標榜し、頑なに主流の道を拒んだ彼らは圧倒的な数の若者に押されて表舞台に出て来るのである。

 私には井上陽水森昌子の歌を並べることを意識的に避けてきた節がある。それはフォークの旗艦であった陽水に圧倒されるとの不安があったからかもしれない。しかし森昌子と時代を考える時、それを避けては通れない。時代がその人に有利か不利かはあったにしろ、時代を抜きにしての人の存在など考えられないからである。
 新たな時代に突入した頃の新たな潮流の旗艦と伝承の砦の歌を並べるのでお聴き頂きたい。そして最後にもう一度「森昌子十八ゆれる心の想い」をご覧頂きたい。18歳の揺れる想いにあなたは何と応えるのだろうか。

 それぞれの生年月日とカッコ内は映像時の年齢(上の3人は80年として推測)

  • 小椋 佳  1944年1月18日(36歳)
  • 井上陽水  1948年8月30日(32歳)
  • 来生たかお 1950年11月16日(30歳)
  • 森 昌子  1958年10月13日(18歳)

来生たかお井上陽水小椋佳「少しは私に愛を下さい」(映像80年頃)
http://youtu.be/p5vsCdyaIII
森昌子「少しは私に愛を下さい」(歌77年)
http://youtu.be/CQLUmFiSyUo