蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

俳句27 飯島晴子


 かほどまで咲くこともなき椿かな(飯島晴子)
 歳時記を眺めていてふと目に止まったのがこの句だった。飯島晴子。偶然にも前回の「はんざき…」と同じ作者であり、以前にも「夕立」の項で「さつきから夕立の端にゐるらしき」を引用させていただいていた。実はこの作者をよく知らないので、ネットで調べた。


 略歴
 1921年(大10)京都府城陽市で生まれ
 1938年(昭13)京都府立一女卒業後、神戸の田中千代服装学院入学
 1946年(昭22)飯島和夫と結婚
 1959年(昭34)夫の代理で句会に出席し能村登四郎に会う
 1960年(昭35)馬酔木に初投句。39歳
 この間「鷹」「華の会」に参加し、「俳句研究」に俳句評論を書く
 1970年(昭45)現代俳句協会会員となる
 これ以降、第一句集「蕨手」や第一評論集「葦の中」を始め、第二評論集、句集は第六までを刊行
 1997年(平9) 第六句集「儚々」で第31回蛇笏賞を受賞
 2000年(平12)6月6日死去(自死)。79歳

 経歴では、表立った句作は30代後半からのようだ。そして79歳での自死が異彩を放っている。


 また『増殖する俳句歳時記』から清水哲男氏の文章を引用させていただく。いくつか読ませていただいたが、私にはこの項が一番わかりやすい。この作者の作品を端的に表していると思う。対象は女史のこの句である。
 春の蔵でからすのはんこ押してゐる 

 わからないといえば、わからない。だが、ぱっと読んで、ぱっと何かが心に浮かぶ。そして、それが忘れられなくなる。飯島晴子の俳句には、そういうところがある。一瞬にして読者の想像力をかきたてる起爆剤のようだ。たとえば、ある読者はおどろおどろしい探偵小説の一齣と思うかもしれないし、また別の読者は昔の子の無邪気に遊ぶ姿を想像するかもしれない。前者は「春の蔵」の白壁の明るさに対して「からす」に暗さや不吉を読むからであり、後者は「からすのはんこ」に子供らしい好奇心のありかを感じるからである。もちろん、作者自身の描いたイメージは知るよしもないけれど、知る必要もないだろう。よく読むと、この句では主体も客体も不明である。いったい誰が「からすのはんこ」を押しているのだろうか。はっきり見えるのは「春の蔵」だけなのであって、結果的に作者は「春の蔵」の存在感だけを感じてくれればよいと作ったのかもしれない。何度も読んでいるうちに、そう結論づけたくもなってきた。しかし、彼女の句はそんな結論なんかいらないと言うだろう。『春の蔵』(1980)所収。(清水哲男

 通り道の家の庭先に小さな椿がある。その椿がある日突然、緑の葉を覆い尽くして、木いっぱいに紅の花をつけているのを見てギョッとしたことがある。そんなに蕾がついてるとは思えなかったが。
 これは、奥に鈴ヶ森を見せて震える爛漫たる海棠と同じではない。これは…いや、この先は遠慮しよう。清水氏が書くように作者の思いがある。「そんな結論なんかいらないよ」と言われそうだ。


 ふるさとへ続く道なし寒椿