蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

俳句20 水芭蕉


 (1)何とはなしになにやら床しすみれ草
 (2)何となく何やら床しすみれ草
 (3)山路来てなにやらゆかしすみれ草

 
 芭蕉の推敲の過程である。これを見ると俳聖といえども、道端の菫を見て少し思案し、おもむろに口にした句が「山路来てなにやらゆかしすみれ草」ではなかったようだ。「何とはなしになにやら床しすみれ草」なら凡人の私でも創れそうで、少し芭蕉が近しい人間のように見えたりもする。しかし、いくら私が推敲を重ねても、「山路来てなにやらゆかしすみれ草」にはならないのだろうとの察しは容易につく。
 そんなわけで私も山道に入ってみた。人里離れた細い道を進むと急に開けた場所に出る。そんなところに来ると、何故か空を見上げて深呼吸でもしてみたくなるものだ。そして視線を戻すと、その下一帯の湿原が目に飛び込んでくる。


 (1)結跏趺坐しておわします水芭蕉
 (2)托鉢の姿なるべし水芭蕉
 (3)巡礼の旅立ち白し水芭蕉

 

 芭蕉の推敲の様子は、ブログ松岡正剛の「千夜千冊」の松尾芭蕉「おくのほそ道」としてあった。他にも幾つか推敲の過程が記されていて興味深い。