蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

神5、「テルプシコラー 音楽と踊りのミューズ」


ナティエ「テルプシコラー、音楽と踊りのミューズ」1739年(サンフランシスコ美術館)


 人間の女性の裸を描くことは不謹慎とされた頃、裸体で描かれたのはすべて女神だった。実は私も人間の女性ではなく、女神を描こうとしている。ナティエにならいテルプシコラーであるが、当然のごとく肌の一部は露わである。女神を着衣のまま描くのは、これもまた失礼なのではと思うからである。その下絵がこれで、ナティエのように片方の乳房を露にして目を入れれば女神の完成となるのだが、さて、どうしたものかと考え込むばかりで、ひたすら時間のみが過ぎ去る今日この頃なのである。女神はお怒りになるのだろうか。私は神の怒りを受けるのだろうか。銀河がアンドロメダに衝突する40億年は、さすがに待てそうにないが…。


「ムーサ・テルプシコラー」の下絵

ムーサ:父ゼウス、母はムネモシュネ。ムネモシュネは記憶の女神。それぞれが特定の学問や芸術を司る9人の女神の総称がムーサであるが、英語名ミューズは音楽(Music)や博物館(Museum)の語源となる。それぞれの名前と司る分野、および持ち物は以下の通り。
 カリオペ(英雄叙事詩、書板と鉄筆)、クレイオ(歴史、巻物)、エウテルペ(抒情詩、笛)、タレイア(喜劇、仮面・蔦の冠・羊飼いの杖)、メルポメネ(悲劇・挽歌、仮面・葡萄の冠・靴)、テルプシコラー(音楽・舞踊、竪琴)、エラトー(独唱歌、竪琴)、ポリュムニア(讃歌・物語)、ウーラニ(天文、杖)
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訂正とお知らせ:前回の「松葉の流れる町(24)」でほおずきと朝顔の混同があった。また浅草寺に着いた最後の場面を少し書き直し、表示を10日分に変更した。