蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(24)


 特別対策室の件は、達彦が外交官試験にパスした大学4年の時にそれとなく示されていた。達彦が、モスクワ大使館での研修が希望ですと言うと、その理由と同時に、暗にそうした部署への着任を尋ねられたのである。


 『父親は日教組の活動家であり、叔父は牧師であり、親しい友人の一人は右翼の息子であり、そして本人は学生時代にワンダーフォーゲルには挫折したがこれといった問題もなく、どちらかと言えば正義感の強い若者である。日教組の活動家である父親の影響下にはなく、また、友人にも右翼の息子を除けばこれといって問題ある人物はいない。この息子との関係は二人の父親の因縁から言えば妙な気はするが、共に父親からは独立していると考えられ、社会規範に大きく逸脱した行為も見られず、ごく普通の善良なる若者であり、健全なる精神を持って青春時代を過ごした頑健な山男タイプである』


 上司、福島方正の持つ達彦に関する記録にはこう記されていた。そしてその後に二人の父親について書かれているが、その文量は達彦に関するものより多かった。


 『大田原達彦の父、隆と中禅龍一郎の父、留男(現・寅之助)は、若い頃、日教組の活動家と右翼の鉄砲玉として激しく対峙していた時期があった。事件は隆が勤務する中学校で卒業式があった夜に起こる。
 父兄を装って卒業式場に紛れていた留男等数名の右翼は、君が代を合唱しない教師たちに怒声を浴びせる。教師たちとの間に小競り合いが起こり、怒号と母親たちの悲鳴が飛び交って場内は騒然とする。式は中断されるが、右翼と正面から対峙したのが、日教組の活動家としてその中心にいた隆だった。
 自力での収束は難しいと判断した校長は警察に連絡し、彼らは連行されるが、その中に留男の姿はなかった。そしてその夜に隆は襲われ、右太腿内側を刺されるのである。刺したのは警察の手を逃れた留男で、「命まで奪うつもりはなく、ただ脅すつもりだった」と、供述したという。隆はその傷が元で今でも少し右足を引きずって歩く。

 水戸は、血盟団事件を持ち出すまでもなく、歴史的にも右翼的な精神風土の強い土地柄にあり、そうした意識のある人たちが集まりやすい場所である。中禅留男は九州の貧しい家に生まれるが、そうした精神に惹かれて水戸に流れ着いたものと思われる。また、この事件の随分後に、東京駅で時の総理大臣を襲って投獄され、その世界で名を知られるようになる。名前を寅之助に変えたのはその刑期を終え出所した頃で、今ではその筋の有名な人物になっている。
 大田原隆は現在中学の校長の職にあり、日教組茨城支部の役員等には名を連ねてないが、今なおその精神的支柱として現役世代の相談役のような立場にある』


「達彦さん、さっき誰かって言ったけど、私が送ったレコードでしょう」
「つぐみちゃんが…なるほど、名前を忘れたな」
「名前、書いたわよ」
「いや、書いてなかった」
「おかしいわね。達彦さん、今どこにいるの。私、モスクワの日本大使館に送ったのよ。転送してくれるだろうと思って。連絡するなって言うけど、住所はそこしか知らなかったし」
「モスクワ…」と呟いて達彦は考えた。そして
「レコードだけ、手紙は」と、つぐみに目を向ける。
「手紙も一緒に入れました。なあに、読んでないの」
「僕は今、カイロの大使館だよ。転送されたものではなかったと思う。それに手紙は入ってなかった」
 
「達彦さんは、どうせ、私の歌を聴いてないんでしょう。癪にさわるから送ったの」
「そんなことはない」
「嘘ばっかり…。それだってあれでしょう、前に送った『早春賦』のテープ。私のレコードも聴いて」
 達彦が演歌や歌謡曲を嫌っていることをつぐみは知っていた。そしてつぐみが歌う『早春賦』は好きであることも。達彦は、偶然に聴いた少女の『早春賦』が今でも耳に残っていると、やりとりした手紙に書いていたことがあった。だからつぐみは『早春賦』をテープに吹き込んで送ったのだ。しかし無性に聴いてもらいたくなる時があった。自分の本当の歌を、演歌を、レコードを。そんな時つぐみは、そうであるなら私は達彦のためにだけ歌うとさえ思うのだった。
「いつも聴いてる…、だけどあれは…」
 確かに、達彦が演歌を聴くことはなかった。しかしつぐみの歌だけは聴いていたのである。それは演歌を聴くというよりもつぐみの声を聴いていたのかもしれない。達彦はつぐみの歌声が好きだった。

「私のじゃないの。じゃあ誰、叔母様から」
 名前も書かず、レコードだけはありえないと達彦は思う。叔母が配属先を知るはずがない。
「今頃カイロに着いているかもしれない。戻ってから読ませてもらうよ」
「返事頂戴ね。夏にはもう来られないんでしょう。手紙、書いてもいいの。浴衣の写真送るから」
「後で手紙で知らせる。それより、最近、泣いてはいないんだろうね」
「忙しくて、泣いてる暇なんかありません」
 つぐみは突然腹が立った。今日一日だけだなんて、と言ってはいけないことは分かっていたが、そのやり場のない怒りが達彦の指を辺り構わず抓らせていた。


 浅草寺に着くと、人で溢れた境内のあちこちで威勢のいい掛け声が飛び交っていた。賑わいの中に入っても青い臭いが鼻腔を刺激して人いきれを感じさせなかった。水を打たれて色を濃くしたほおずきは、鉢いっぱいに広がって伸びている。 
「達彦さん、痛い」
 その頃になるとつぐみの指は達彦に強く握られて、抓ることも動かすことさえできなくなっていた。
「悪戯をするには、それなりの覚悟もしてもらわないと」
「達彦さん、外国へ行って性格が悪くなった」
 そう言うとつぐみは掴まれた手を引き抜き、達彦を睨み上げながらその指を握ろうとする。いっぱいに広げられたか細い指が、懸命に男の指を掴もうとしてしばらく蠢いていたが、直ぐに鈍い痛みとなって達彦に伝わってきた。達彦はその痛みと密着した皮膚感の中に、自分のものなのか、つぐみのものなのか分からない断続的な脈動を感じた。いつしか二人の姿は人混みに紛れ、その中に消えていた。

 1976年7月、浅草寺ほおずき市のたった夜、つぐみの部屋に明かりが点くことはなかった。