俳句24 時ありぬべし
また、この季節がやってきた。泰山木の花開く頃である。私にとっては森昌子様の季節なのである。ということで、早速例の場所へと向かった。参宮橋駅から歩いて数分の国立オリンピック記念青少年総合センター付近。写真をご覧ください。
清冽の時ありぬべし白き花
私は詩人ではない。ましてや俳人などであるはずもない。従って、自然の移ろいを前に侘び寂びの趣きある言葉が口を衝くことはない。ひたすら苦心惨憺の結果なのである。故にその結果がとるに足らないものであっても一向に構わない。要はそこに、森昌子様の季節に対する私なりの賛辞が含まれていれば、それで良いのである。
いわゆる鶏頭論争の「鶏頭の十四五本もありぬべし」(子規)を参考にしている。「彼岸花七八本もありぬべし」では如何にもとの感じになるが、これは許される範囲内だろう。しかしこれは、「清冽の時ありぬべし彼岸花」の方がいいかもしれないのだが、時節が惜しい。とかく世がままならないのは、今に始まったことではないということだろう。
こじんまりした駅だぞ、参宮橋。なかなかグッドかもしれない。改札口がひとつだから下りホームへはこの跨線橋を渡らなければならない。私は好きだな、こんな駅。森昌子様の次の次ぐらいに。