蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

Edesu46、未完の美、あるいは芽ばえ


鉛筆

 

 これは鏡に写ったものを描いたのだが、「鏡よ鏡、教えておくれ。世界で一番ハンサムなのは誰だ」などと言って覗いていたわけではない。ふと何かが写っているのに気付き、よく見たらぼんやりとしたこの像だった。「未完の美、あるいは芽ばえ」と題された若い女性の胸像で、それを眺める人と比べると相当な大きさのようだ。若い女性が岩を割ってその姿を現している。

 ありとあらゆるものを写し出す鏡は、現在ばかりでなく過去も未来も写すというが、これもそのいずれかなのだろう。過去のものであれば、その形は想像で描かれたものしか見たことのないロードス島ヘリオスの巨像や、パルテノン神殿にあったというアテナ・パルテノス像も写るかもしれないと思い見つめたが現れず、また現在のものなら、自由の女神やお台場のガンダム立像が見えるのかもしれないと思ったがこれもまた現れず、ということは多分、未来のものなのだろう。この若い女性に縁のある場所に建つ像なのかもしれない。岩を割って生まれ出た瞬間が表現されているところからみると、どうやら大地の女神に関係があるようだ。


 ギリシャ神話では、冥界の王ハデスに連れ去られたペルセポネは、豊穣の神である母デメテルの執念で、冥界には1年の内4ヶ月だけとどまれば良いことになった。8ヶ月は地上に戻れたのである。いわゆる芽ぶきと実りの期間である。デメテルは植物の枯れる4ヶ月間は常にこの娘の戻る季節の到来を待っていたのである。
 種は大地の深きで長い時を過ごす。その時期があるからこそ美しい花を咲かせることができるのだ。「未完の美、あるいは芽ばえ」と題されたこの女性像には、その季節到来の意味が込められているのだろう。