蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(19)完


(19)
 日比谷公会堂を皮切りに始まったモデルの全国ツアーは西日本に向かい、予定を順調に消化していました。大阪新歌舞伎座での公演も盛況にうちに終え、来週に松山市民会館での公演を予定している頃に秋葉君からの手紙が届きます。住所には新宿区…と記されていましたので、那須を離れたようでした。


(秋葉君の手紙)
 コンサート盛況のようで何よりです。また、溌剌としたステージでの姿を見せていただき安心致しました。乱穂先生と一緒に日比谷公会堂におりましたが、さすがに考えてはいませんでしたのであの絶叫には驚きました。乱穂先生が立ち上がって手を振っておられたのがお分かりになりましたか。会場の熱気に煽られ、思わず立ち上がってしまったようです。それにしても見事な歌唱ぶりで、感動させていただきました。
 思えば初めてお会いしたのは、乱穂先生があなたを描いたあの時でした。あの時に乱穂先生が、あなたが私の妹に似ていることを知っていたのかどうか知りませんが、偶然にも私に声をかけてくれたのです。以前からあなたが妹に似ていることに気づいていた私は、あなたに会えるのは楽しみでした。何故かと不思議に思われるかもしれませんが、あなたも読まれた「飯坂殺人事件」の珠子は私の妹がモデルなのです。苗字は変えていますが「珠子」は実名のままなのです。そして小説と同じように妹は殺されてしまったのです。というより妹の事件をそのまま小説にしたものなのです。そして、小説の中のハンチングとマスク姿は実際にあったことなのです。私は珠子に会いに時々飯坂に行っていたのです。会うと言っても直接声をかけることは、その頃の状況からできませんが、私は妹の姿を見るだけで良かったのです。あの探偵が見ていたのは、麗子ではなく愛らしい妹だったのです。私がその幼い妹を失った頃ですから、妹にどこか似ているあなたに会えるのは嬉しかったのです。


 鈴子さんは私の父の愛人です。愛人といっても母は既に病の末に亡くなっておりますので、結婚できないことはなかったのですが、ただ、珠子が生まれたのがまだ母が生きている頃でしたから、父の周りの人たちがそれを許さなかったのです。父が国会議員の選挙に出ることが決まっていたからです。不倫は世間に認められないと強く反対され、鈴子さんは自ら身を引いて飯坂に戻ったのです。戻ってからも父を守るため、珠子の父親の名は決して明かさなったのです。それを兄に勘違いされ、辛い思いをしたと思います。しかし私が鈴子さんを守るすべは無く、父もまた出にくい状況になっていたのです。男のエゴと言えば確かにそれはそうなのですが。

 私もどこか鈴子さんには遠慮があり、鈴子さんもまた私には遠慮がありました。不倫相手の息子ですから当然なのかもしれません。ただそう言っても、父を失った幼い珠子が私は不憫でした。母が亡くなった後ですが、珠子とは何度か会ったことがあるのです。鈴子さんにお願いして会わせてもらったのです。病に倒れた母には申し訳ないと思いながら、何の罪もない幼い珠子をほおってはおけなかったのです。珠子は母親の陰に隠れながら嬉しそうな顔で私を見上げるそんな少女でした。その頃の鈴子さんの立場もありましたし、「あなたのお兄さんですよ」、と言うような女性ではありませんでしたから、私もあえて名乗ることはなかったのですが、それでも珠子には何か感ずるところがあったようです。私を捉えて離さないその眼は、兄に甘えたい幼い妹の眼だったのです。私はその眼を忘れることができないのです。そんな妹を兄でありながら守ってやれなかったことが心に残ります。なんとも可哀そうな妹でした。


 そんな頃にあなたに会ったのです。こころなしかお疲れの様子のあなたに私は珠子を重ねたのです。妹にしてやれなかったことを私は、あなたにしてしてあげなければと思ったのです。そのため、逆にあなたに余計な心配をかけてしまいました。申し訳ありません。でも元気になられてよかった。またいつの日かあなたのステージを見させていだだきます。その時もまた、私はあなたに妹を見てしまうかもしれません。成長した珠子の姿を。
 最後に、全国ツアーの成功とますますのご活躍をお祈り申し上げて筆を置きます。さようなら、お元気で。
葉山鉄太郎
まさこ様


追伸:間もなくジュディが日本にやって来ます。ニコラスがマリアと二人で大丈夫とジュディに言ったそうです。私には、ニコラスが姉を必要とするなら、天文学の未来のために彼女を弟のもとに置いておくべきとの思いがあったのです。天文学から身を引きながら、次は有能な男の足を引っ張るのかと情けなく、決断できずにいたのです。それがジュディの悲しみでもあったのです。私もジュディも最善の方法を見い出せなかったのです。ニコラスが姉にそう言ったのは、彼もまた姉の悲しみ知っていたからなのだと思います。私はニコラスの言葉を信じて素直に受け入れることにしたのです。
 そのジュディは、日本であなたのステージを観たいと言ってます。きっとどこかの会場にいる筈です。そしてあなたを娘のように思っているマリアも日本に来たいと言っているのですが、ニコラスをひとりにはできず我慢しているようです。ジュディが落ち着いたら一度アメリカに戻し、マリアを呼ぼうと思っています。客席にいるマリアは相当にうるさいですから、すぐわかると思います。
 もう一人ジャックですが、彼は怒っていました。日本の宝を守れと僕に言っておきながら、君はアメリカの宝石を持ち去るのか。それなら僕も日本の宝を奪う、と。海賊となって日本の宝を奪ってみせる、と。近いうちにジャックも日本に来るかもしれません。海賊ジャックには私も会ってみたいと思うのですが、彼は私の前ではなくあなたの前に現れる筈です。彼はあなたにお任せします。私は彼の意思を尊重して、遠くからあなたがたを見守るつもりです。


 私はもう少し探偵を続けます。そして探偵をやめた時、カルフォルニアのカーメルで、ビートルズを聴きながら推理小説を書くつもりです。もちろんあなたの歌も聴くことになると思います。そんなことをジュディと話しています。その頃、またカルフォルニアに来てください。珠子がどんな女性に成長するのか私は楽しみにしています。



 秋葉君の手紙を読み終え、モデルがそっと手にした「飯坂殺人事件」の巻末には、次のように記されています。
「この本を沈黙せる少女とその兄に捧ぐ」(完)