蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(18)

 

 ミューアウッズの少女殺人は同じ年頃の少年少女らによるものでした。モデルがサンフランシスコを飛びたった頃にそれは解決したのです。
 一緒に遊びにきていた彼らは、数日前のテレビドラマを真似て悪戯を始めたらしいのですが、止める頃合いを知らず、ドラマのようにエスカレートしてしまったようです。被害者の陰部に異物が差し込まれていたところから、変質者の犯行と思われていたのですが、それもドラマを真似た加減を知らない行為だったのです。子供たちは興味に熱中するあまり虚構と現実の区別がつかなくなっていたようです。
 これを受けて、法律や児童心理学の専門家が犯罪か事故かを論議する騒ぎとなり、両親たちは教育界も巻き込んで、ドラマを放送したテレビ局を訴える騒動に発展していました。好奇心は、発達途中の脳の微熱のようなものなのでしょうが、その微熱が幼い理性を冒していたのです。理性は無秩序な荒野に抛り出されていたのです。純真さの中にはこの無知と残酷とが同居しているものです。


 そして、ニューヨークでヨーゼフとその家族を探した時、秋葉君は、孤児院でガリアの出生の秘密を耳にしていました。それによるとガリアの父はあのニコラテスラだというのです。
 ガリアは孤児院で育っています。そのガリアを引き取ったのが、当時ニューヨーク市議会議員だったヨーゼフモンローという人物で、彼はその際、「テスラの子をほおっておくわけにはいかない」と言ったそうです。ヨーゼフも当時の修道尼たちも既に皆亡くなっていましたが、その話を聞いて覚えていた人がいたのです。
 天才科学者ニコラテスラは生涯を独身で通し、モルガン令嬢との噂はあったものの結婚歴はありません。1943年、ニューヨークのホテルで亡くなっていますが、ガリアが生まれた1915年は56才ですから、子供が生まれても不思議ではないのです。しかし母親の名前までは伝わってきませんでした。
 この1915年は、テスラがエジソンと共にノーベル物理学賞に推された年であり、因縁めいています。しかし二人共、同時受賞を強く拒否したといわれ、受賞はなくなっています。二人の確執は根深く、晩年まで続いていたようです。テスラはその後も候補者となったことはあるのですが、ついにノーベル賞を獲ることはありませんでした。
 モデルから知らせを受けた秋葉君は、アメリカに発つ前にこの件を乱穂先生に相談していました。保安官がヨーゼフの名を期待しているとは感じたのですが、狙いがハッキリとは見えてはこなかったからです。そこで乱穂先生の口から出た言葉がフリーメイソンだったのです。


 秋葉君がようやく探し当てたヨーゼフの息子フライホフは、父のフリーメイソンの件を否定はしませんでしたが、ワトソン家を訪ねた人物として名前を出すことは快く承諾してくれたのです。ガリアの養父ですから当たり前といえば当たり前のことではあったのですが…。しかし自分のことになると笑って誤魔化すだけで、イエスかノーかは拒否したのです、とさ。
 沈黙の義務の肯定は、フリーメイソンが堅持しなければならない明文でした。しかしそれは、生きている者に対してだけなのです。 

 乱穂先生がヨーゼフモンローの名から導き出したフリーメイソンは、アインシュタインの仮定した未知の物質ほど時を経ずに現れます。しかし、私は先を急ぎます。乱穂先生の先見の証明は後日、たとえその頃世間が暗黒物質に覆われることになろうとも、に機会があれば書くとして、「沈黙」は次回で一旦の終了です。
 無限とも思える不可能をひとつひとつ丁寧に取り除くことは、ニコラスの負担ではないのです。そうして暗黒物質もまた白日に晒されるのです。ドイルの「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」の言葉は、宇宙に関するこの本で証明されるのです。「宇宙の現在と未来、そして過去」(ニコラスワトソン著)