蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(16)

 

 モデルが探偵に疑惑を持ったと聞いて、私は遅ればせながら「飯坂殺人事件」を読むことにしました。そして書いたのが前回の「沈黙(15)」です。これを読まずに「沈黙」を書いてきたのですからいい加減にも程があるというものです。その時、ふと、あの絵が誰のものか知りたくなり叔父に尋ねることにしたのです。最早や原形を留めていませんが、幸いにも撮っておいた写真があったのでそれを持って出かけました。その時の写真がこれです。


「こんな絵が文庫の中にあったのか。全く知らなかった」
 叔父は手にした写真を興味深そうに見詰めていました。
「まさか福田たねのものではないだろうね」という私の言葉に反応せず、暫く見詰め続けていたのですが、
「誰かに似ていると思ったが、そうか彼女か」と呟いて、「佳代さんに似ている。多分間違いないだろう。そうだとすればこの絵を描いたのはお前の親父だ」と私に顔を向けたのです。
「親父が…、親父が絵なんて描いたのか」
「私も知らなかったが、そうとしか思えん。そしてこれが佳代さんなら、これがお前のお袋さんだ。多分、写真も見たことはあるまい。兄貴はそういうものを一切残さない人だったから」

 私は小さい頃に母を亡くし、叔父夫婦に引き取られています。母は私を生んですぐに亡くなったと聞いていますが、父がいつ亡くなったのかははっきりしていないのです。叔父は、お前の親父は死んだというばかりで詳しいことを話たがらないのです。
 父は長男でしたがヤクザな遊び人で、若い頃に家を飛び出して或るキャバレーの専属歌手をしていた母と同棲していたようです。そんなヤクザな男に家を継がせるわけにはいかず、次男の叔父が蜂太郎本舗を継いだのです。ですからその頃の父と家との縁は切れており、どのような生活をしていたのか誰も知らないのです。そんな父が一度だけ家に帰ったことがあるそうなのですが、それが母が亡くなった時で、赤ん坊の私を抱いてやってきたそうです。叔父にすればヤクザな男でも実の兄で赤ん坊は甥っ子です。冷たく帰すことはとてもできなかったと言うのです。


 父の描いた絵に私は手を加えてしまったようです。しかもそこに描かれていたのは実の母の姿だったのです。私はなんとも言えない気持ちでした。
 しかし、叔父に言わせれば、こちらの絵の方が母に似てるとのことでしたのでもう一枚を載せます。ご覧くだい。


お知らせ:改めることもないことですが、改めて申し上げます。「沈黙」は創作です。実在の地名、場所、人物とは一切関わりありません。また、「沈黙」の(1)から(15)まで、文章はあまり変えていないのですが構成を変えて、別ブログ「松葉の流れる町」に載せました。絵に添える単なる雑文のつもりだったのですが、話が連続して少し長くなってしまいました。今だに完了の見込みも立たず、収拾つくのかどうか疑問です。