蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(7)


ゴールデンゲートブリッジ

雲のような霧の上に橋柱がわずかに見える。

 モデルの降り立った空港はロサンゼルスではなくサンフランシスコだった。従って彼女がサンタモニカへ行くことはなく、別の場所になると思われる。しかしここではサンタモニカに敬意を込めてこの歌を聴いておきたい。「ルート66」。この道路はシカゴとサンタモニカを、大陸をほぼ横断して繋ぐ重要な道路だったが、他の道路の整備や完成などでその役目を終え、1985年に廃線となった。しかし1946年のこの曲はジャズのスタンダートとなり、今も歌われ続ける名曲である。尚、「作曲のボビートゥループは、あのジュリー・ロンドンの夫である」と、叔父の刈屋蘭堂が言うので、そのまま記します。

 少し走ると青い空の下に霞んだ街並みが見えてきました。霧の街サンフランシスコです。ジュディは街を見下ろして突っ走ります。そして街中を抜け、霧に隠れたゴールデンゲートブリッジへと突っ込んでいきます。霧に包まれた67mの高さにある橋から海面は見えません。227mの橋柱の先端も橋の終りも見えません。ただ道路が僅かな視界の中に伸びているだけです。しかしジュディはヘッドライトの明かりを頼りに、スピードを落とすことはありませんでした。さすがにアメリカの女性です。ジュディはその端正な顔を崩すことなくアクセルを踏み続けたのです。
「ここがゴールデンゲートブリッジよ。凄いでしょう、霧が」
「ええ…」モデルは頷きます。そして「ジュディさんも…」と小さく続けました。
 強い北西の風によってアップウェリング現象が起こり霧が発生します。その霧が内陸の温かい空気に引き寄せられ海峡を流れるのです。そう、愛も流れますが、霧も流れるのです。それは午前中に多くそして夏に多いのだそうです。


 Here comes the sun
 Here comes the sun and I say
 It's alright…


 突然、ジュディは歌いだします。ビートルズの「Here comes the sun」でした。
「この橋を渡る時、リーフはいつもこの歌を歌っていました。いつの間にか私も、それを真似て歌ってしまうのです」


 Little darling, it's been a long, cold, lonely winter
 Little darling, it feels like years since it's been here


 ジュディは橋を渡り切るまで歌い続けました。そして橋を降りるとこの秋葉君の言葉を思い出すのです。

『ほら、太陽だよ、ジュディ。見てご覧、太陽だよ。もう大丈夫、何も心配ないさ』


 Here comes the sun
 Here comes the sun and I say
 It's alright


 Little darling, the smiles returning to their faces
 Little darling, it seems like years since it's been here


 はるか昔祖先たちは、ユーラシアからベーリング海橋を渡り北米大陸を南下します。南アメリカ大陸まで南下したグループもありましたが、一部は北米大陸に留まり拡散していったのです。このカルフォルニアを生活の舞台とした種族もいました。サンフランシスコ湾岸には5千年前からオーローン族が住んでいたと言われています。しかしその生活も大航海時代を契機に始まったヨーロッパ人の移動によって終焉します。インカ、マヤ、アステカと灯り続けた文明はさらに強力な文明によって滅ぼされてしまうのです。カルフォルニアも例外ではありませんでした。ヨーロッパ人がサンフランシスコ湾を発見したのは1769年のことです。オーローン族の長い歴史から言えばごく最近のことなのです。しかし彼らもまた同じ運命を辿ります。さらに移動を続けるヨーロッパ人によって征服されてしまうのです。

 ネイティブアメリカンの一種族、オーローン族は彼らを友好的に迎えたといいます。しかしヨーロッパ人には思惑があったのです。それは土地の収奪です。キリスト教の布教を名目に先住民を隷属させ征服するのです。強力な文明はいとも簡単にか弱い文明を滅ぼしてしまうのです。今、オーローン族の伝統的な墓は掘り返され、遺骨は展示されています。そしてその上にはショッピング・センターが立っています。しかしその頃まで、このサンフランシスコ湾は見つけられなかったそうです。霧が長い間ヨーロッパ人の眼からこの場所を隠していたのです。その霧が今もこうしてゴールデンゲートブリッジを包んでいるのです。何者かの目からこの橋を隠すかのように。


 ジュディの家はイーストマリンと呼ばれる地区にありました。少し町を離れた小高い丘のビクトリア朝様式の瀟洒な建物でした。
「さあ、着いたわ、まさこさん。あら、いつまでも『まさこさん』ではおかしいわね。これからは『まさこ』でいいかしら」
「ええ」
「私は『ジュディ』でいいのよ」
「でもジュディさんは年上だから」
「いいの、気にしないで」
「ええ、分かりました」
「ほら、ほら、硬いわよ。私たちもう友達よ。マリア、着いたわよ。マリア、マリアー」
 ジュディは家の中に向かって叫んでいました、とさ。


ビートルズ「Here comes the sun」
http://youtu.be/U6tV11acSRk
ナットキングコール「Route66」
http://youtu.be/dCYApJtsyd0