蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(6)


ラフ画(2)

 例の持ち出した誰の絵とも分からぬものに手を加えた。相当に薄くなっていたので、まずはBと2Bで濃くすることから始めた。絵の6、7割はデッサンで決まってしまうと思っているから、もうこの絵は出来上がったも同然なのだと、素人の私は泰然としたものだった。
 更に4Bと2H、4Hで濃淡を付けて完成したものが「Edesu37、愛は流れる」なのだが、写真を手元に残し原画は元の土蔵文庫に戻して来た。叔父さん、ごめん。ワケあり、いわくつきの思い出の絵だったら謝ります。もう元には戻りません。

 それから数日後、モデルはサンフランシスコの空港に降り立ちました。税関を抜けてロビーに向かうと、何人かの迎えの人たちが出てくる乗客たちを見つめています。その中に一際目立つ金髪の美しい女性の姿がありました。モデルは迎えの人の中にジュディを探して一瞬その女性と眼が合ったのですが、すぐに逸らしてジュディを探しました。と言ってもジュディの顔は知りませんから、彼女に見つけてもらう他はなったのですが。すると直ぐに、そのマリリンモンローのような金髪女性がモデルに近づいて来ます。
「まさこさんですか」
 そして流暢な日本語で話かけました。
「はい、そうです。…ジュディさん?」
 モデルは驚いたように大きく眼を開き、その女性を見つめました。ジュリーロンドンのように整い過ぎた顔立ちは一見すると冷淡な印象でしたが、「はい」と言ってモデルのバッグを手に取る時に見せた笑顔は、表情を柔らげ優しい性格を窺わせました。
「ようこそ、アメリカへ」
 ジュディは一度手にしたバッグを下に置き、大きく広げた両腕で優しくモデルを抱きます。その時、ドリーパートンのように巨大ではなかったのですが、それでも豊かな胸の膨らみがモデルの頬に触れました。そうモデルの背はジュディの肩ぐらいまでしかなかったのです。
「疲れたでしょう。さあ行きましょう」
 ジュディはそう言って車の方へと歩き出します。


「彼は元気ですか、アイアンリーフは」
 車中でジュディは言います。車は猛スピードで高速道路を突っ走っています。ジュディは理知的な顔に似合わずなかなかのスピード狂のようでした。さすがにアメリカの女性といった感じです。
「アイアンリーフ?秋葉さんのことですか」
「ええ、彼。…彼は秋葉と名乗ったのですか」
「はい、秋葉鉄斎さん。探偵さんの名前だそうですけど」
「本名は名乗らなかったのですか」
「ええ。その名前しか仰りませんでした」
「相変わらずのお茶目さんね。本名を教えます。葉山鉄太郎って言うの。だから私はアイアンリーフって呼んでます。弟はアイアンマウンテンと呼びますけど…」
 と言うと、ジュディは口を噤んでしまいました。カーラジオからはビートルズの歌が流れています。車の風を切る音とタイヤの摩擦音が規則的に響いています。少しの沈黙の後、呟くように言います。
「…私たち、結婚の約束をしているのです。アイアンリーフはそれも言わなかったのでしょう」
 少し沈んだ声でした。
「ええ、恋人だったのですね。私にはワトソンさんのお姉さんとしか…」
 風を切る音が一段と強くなっています。タイヤの軋みは悲鳴のようでした。青い空の中に道路は真っ直ぐに伸びています。
 …Because the sky is blue It makes me cry…
 ビートルズの歌う「Because 」が車内に広がります。
 …空が青いから僕は泣きたくなる…


 Because the world is round
 It turns me on
 Because the world is round


 Because the wind is high
 It blows my mind
 Because the wind is high


 Love is old, love is new
 Love is all, love is you


 Because the sky is blue
 It makes me cry
 Because the sky is blue


 いつしかタイヤの軋みは消え、静かなハーモニーが車内に溢れていましたが、何故か、ジュディはラジオをそっと消しましたとさ。その時モデルは、ジュディの目頭が微かに光るのを見ました。


The Beatles「Because 」
http://youtu.be/dWlLPJG9Cvg
森昌子22才の別れ
http://youtu.be/arc_jiA9b38