蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(5)


ラフ画
 

 この絵も土蔵文庫にあったもので鉛筆のラフ画である。
 暇を持て余した時、私は良くここを訪ねる。ここには歴代の店主たちが思いのままに集めたものが展示されているが、それぞれが好き勝手に集めたもので系統だってはおらず、また大して価値のありそうなものはない。そう私が断言した後に、「これは実に貴重なものです」と、その筋の専門家の言葉があっても、私自身、書画骨董や文献に詳しいわけではないので、その時は私の言葉は忘れていただきたい。それでも私はこの中にあるものが好きで、小さい頃は無断で忍び入り、日の暮れるのも忘れて読み耽けったものだった。

 この土蔵文庫は秘密の部屋ではない。かといって宣伝しているわけでもないから公開しているとも言いにくいが、それでも出入りは誰でも自由である。しかしそんな訳で、全く知らない通りすがりの人が入るということは滅多にない。あるとすれば知り合いの誰々に聞いたといって来る人がいるくらいで、その誰々さんも名を聞けば確かに良く知っている近所の人だったりするのである。「そうですか、誰々さんのお知り合いですか。大したものはありませんが、さあ、どうぞどうぞ」てな具合である。

 川崎の市街を少し外れた所に、それは一階は入口の扉があるだけの大谷石の石壁造り、二階の小さな窓には厳かに鉄柵が埋め込まれ、今では珍しくなった漆喰の白壁を光らせて建っている。廂下の白壁に黒々と丸に八の屋号が書かれ、この種の建物はもうこの辺にはないので良く目立ち、直ぐに分かる。

 その日、土蔵に入ろうとすると、案の定、鍵はか掛けられたままだった。叔父も耄碌したもので、開ける開けないはその日の気分らしかった。私は勝手知ったる家である。母屋からそっと鍵束を手にして土蔵へと入った。叔父に顔を合わせると話が長い。飽きもせずにする同じ話を何度も聞くことになる。それは遠慮したい。

「福田たねのスケッチがあった筈だが…」
 何時だったか叔父のこの言葉を思い出しそれを探しに来たのだが、それらしい絵は見つからなかった。代わりに見つけたのがこの絵で、見た瞬間にある考えが浮かんだ。この絵を完成させてやろう。私はデッサンが苦手なのだ。絵を勉強したものではないからデッサンなどというのもおこがましいが、何分苦手なのだ。これだけでも書いてあると非常に楽なのである。この絵が福田たねのものである筈はなかろうし、絵好きの素人のものであろうから手を加えても問題はあるまい。多分、叔父は手を加えられたことにさえ気付くまい、と私はその絵を持ち出すことにしたのである。
 叔父には刈屋蘭堂という立派な名前がある。蘭堂は日本画家としての名だったが、いつの間にか日常もその名で通している。画家と言っても、町中の商人の道楽であるから大した作品があるわけでもなく、ただ名だけはそれらしいので、蘭堂の名の入った絵を見ると私もどぎまぎしてしまうことがある。そして直ぐにそのことを後悔するのである。

 その日、叔父に顔を合わさぬよう鍵束を戻し、静かに土蔵文庫を後にしたことは言うまでもない。それがこの絵であった。

福田たね「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」
http://aoki-shigeru.awa.jp/Section/item.htm?iid=58


独言:これまでの流れから言えば後にモデルの話が続く筈なのだが、書けてない。それにしても「蜂太郎日記」混乱している。Edesu「沈黙」は2つの物語が同時に進行している。更に、一条つぐみはどうしているのだろう。突然帰国した達彦と一緒に浅草のほおずき市にいるのを見かけたという人がいるのだが…。(提供・蜂太郎本舗)