蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

3-2森昌子 天才少女走る


 しばしの休息は必要だったろう。天才少女は再び走り出す。あの青年の目指した荒野に向かってである。その荒野の彼方で秋津が彼女を待っている。そこは国のまほろば、秋津の島である。
「天才少女の旅立ち」に続くものであるが補足の意味も含めて一部重複する。森昌子を考える時、私にとって「ビッグショー」は重要な位置を占める。これは彼女にとっては重大な一点となった「花の高三トリオ解散コンサート」のほぼ3ヶ月後の収録である。再びこの頃の軌跡を探る。

  • 1977.1.25 「小雨の下宿屋」
  • 1977.3.1 堀越学園卒業式
  • 1977.3.27  花の高三トリオ解散コンサート(武道館)
  • 1977.3.31 「同上・三人娘涙の卒業式」NTV木曜スペシャル
  • 1977.5.1 「港のまつり」
  • 1977.6.27 「ビッグショー」NHK(収録)
  • 1977.7.31 「ビッグショー」NHK(放送)
  • 1977.8.1 「なみだの桟橋」
  • 1977.8.27〜28 大阪新歌舞伎座公演(LP「涙の熱唱」)
  • 1977.?〜? アメリカ西海岸滞在
  • 1977.10.13  19歳の誕生日
  • 1977.12.1 「春の岬」
  • 1978.1.14〜22 「7周年記念」(浅草国際)


ポニーキャニオン森昌子BIOGRAPHY

1977年1月 ワンマンショー 浅草国際劇場(15日〜21日)
「小雨の下宿屋」発売(25日)
5月 「港のまつり」発売(1日)
7月 特別公演 大阪新歌舞伎座(27〜28日)
8月 NHK「ビッグショー」出演(31日)
「なみだの桟橋」発売(1日)
12月 「春の岬」発売(1日)
第28回NHK紅白歌合戦「なみだの桟橋」5回目出場
1978年1月 7周年記念ワンマンショー浅草国際劇場(14〜22日)
3月 「父娘草(おやこそう)」発売(1日)
6月 「津和野ひとり」発売(1日)
MM7リサイタル全国ツアー(6大都市)開始(27日)
東宝映画7周年記念映画「お嫁にゆきます」封切り
8月 第4回日本テレビ音楽祭入賞「津和野ひとり」
9月 「彼岸花」発売(5日)
リサイタル 帝国劇場(21日)
10月 20歳バースデー・パーティ 東京プリンス(13日)
テレビ朝日「おはなちゃん繁昌記」放送開始(15日)
「晴れたり降ったり曇ったり」発売(25日)
12月 第29回NHK紅白歌合戦彼岸花」6回目出場
1979年1月 「夕子の四季」発売(21日)
3月 特別公演 新宿コマ劇場(4〜30日)
「翔んでけ青春」発売(5日)
6月 「銀のライター」発売(5日)
10月 徳間音楽工業からキャニオンへ移籍
「ためいき橋」発売移籍第1弾(21日)
12月 第30回NHK紅白歌合戦「ためいき橋」7回目出場


1977年7月8月の「ビッグショー」出演者と放送日(朝日縮刷版)

7月 3日 (日)田端義男
7月10日(日)第11回参院通常選挙開票速報のため中止
7月17日(日)ブレンダリー特集
7月24日(日)加山雄三
7月31日(日)森 昌子
8月 7日 (日)平尾昌晃
8月14日(日)ミヤコ蝶々
8月21日(日)坂本 九
8月28日(日)舟木一夫

 この頃の軌跡は少々混乱している。それは森昌子自身の混乱もあり、またこの緊急避難に対する関係各社の混乱を思わせる対応もある。この頃の徳間音工からキャニオンへ移籍はそれを含むのだろう。
 以前に「天才少女の旅立ち」の中で指摘した通り、ポニーキャニオンの77年の7月と8月の記述は入れ違っている。「ビッグショー」の放送日は朝日の縮刷版が正解だろう。また彼女自身の勘違いもあると思われる。「明日へ」の中にあるアメリカから戻って直ぐの公演は、新宿コマではなく浅草国際での「7周年記念」だったのではないか。新宿コマでの1ヶ月座長公演はポニーキャニオンの年譜の通り、翌年(79年)の3月だったのではないか。これらは、アメリカへの出発は「19歳の誕生日を迎える1ヶ月半前のこと」(森昌子「明日へ」)を原則として推測している。そうであれば、「7周年記念」での選曲の一部についての説明がつくし、その年の暮れの紅白での「なみだの桟橋」の歌唱も頷ける。ここでの彼女を見て私は動転した。「どうしたんだ、森昌子は。何があったのだ」と思わず唸った。それは半年前の「ビッグショー」での「この胸の幸せを」と相対する。


 「天才少女の旅立ち」を書いた頃、私は彼女の悩みを知らなかった。しかし当人の思いは、その状況を知る知らないに関わらず伝わるものである。それはその言葉に込めた彼女の思いが伝わるからであって、状況を鑑みて受け取ったものではないということでもある。状況が後からついて来ても一向に構わない。それによって彼女の言葉が陳腐化することも、またないからである。言い方を変え、天才少女がその殻を脱ぎ捨て成長への瞬間を見せたのだと言っても差し支えはないだろう。さなぎが美しい翅を持ち、まさに飛び立とうとする瞬間は生命の神秘である。その神秘を白日の下に晒してまで、その決意を示す必要があったのだろう。