蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(12)

 次の駅では多くの乗客があった。その中の隣に席を占めた四人の若者達はギターケースを網棚に載せるのに大騒ぎである。網棚に手が届かず四苦八苦していた小柄なおかっぱ髪の男が、代わりに上げると言う大柄なチューリップ帽の男の手を邪険に払って、自分で載せると喚いていた。この小柄な男は些細なことを大袈裟にする性質のようだった。

 達彦の前には中年の夫婦が座った。亭主はチャップリンのようなチョビ髭を生やし、ハンチングで薄い頭を隠している。一見すると夫婦の漫才コンビの様だった。乗り込んできた時からずっと男は掌の中でカチカチさせていたが、座ってからも同じで、顔を窓外に向けたまま同じ音を立て続けた。細君は色白小柄で眼が常に笑っているように細く垂れ下がり、目尻の皺が深かった。それでも心持厚めの唇には口紅が丁寧に塗られ、化粧も程よくなされていた。

 達彦が視線を車内に戻すとその細君と眼が合う。すると細君はにこっとして軽く会釈する。達彦が会釈を返すと、また彼女はにこっとする。そんなことが二度、三度と続いた。その内に達彦はふとその細君の眼尻の皺が綺麗なことに気付いた。皺が綺麗とは妙だが、それ以外の表現は思い浮かばない。彼は列車内を見渡す振りをして何度か彼女を盗み見たが、何度見てもやはりその言葉しか浮かんでこなかった。皺の深い谷が淡いピンクで、婦人の表情の殆どはその綺麗な皺の印象が占めていた。

 亭主が相も変わらず掌の中でカチカチさせていたのは胡桃で、それは長い間使い続けているらしく、薄黒く光って見え隠れしていた。
「GSはもう終わっているし、これからはフォークの時代だ。アングラではなくポピュラーなフォークの時代だ。若者の歌謡曲離れも起きてくるだろうし、邦楽はフォークに頼らざるを得ない。絶対にそうなる」

 ようやくケースを載せ終えた小柄な男は鼠のような顔を達彦たちの席に向けてからそう言った。その言葉は仲間にではなく達彦たちに言っているようだった。
「歌謡曲は男と女の浅薄な恋愛歌ばかりで、メッセージも言い尽くされたものの繰り返しだ。余りにも陳腐で片寄りすぎている。そう思わなきゃフォークをやる意味はないよ。これからのフォークはポップでなきゃあ駄目なんだ。俺の言ってることが解るだろう。時代は変わって行くんだ」

 少し前の7月に、テレビの番組でチャンピオンになった少女がデビューしている。これを契機に歌謡界は一気に若年化が進み、アイドルと言われる少年少女の時代となる。確かに従来の歌謡界は姿を変えつつあった。

 従来のままで多様な若者の嗜好に応じきれる筈もなく、この少女のデビューを契機に次々と登場するアイドルと呼ばれた若いスターたちがその受け皿となる。そして一部はこの四人組の若者のようにフォークと呼ばれた自作自演の曲に固執する歌手に熱中し、そのスタイルを真似た。
「ロックはどうなんだ、日本のロックは」

 そう言うチューリップ帽の男は帽子の納まりが気になるらしく、執拗に引き下ろし続ける。窓際の長髪の二人は共に窓外を見つめ、一言も発しない。
「ロックも日本語さ。オリジナルは日本語で歌わなければ意味がない。日本語はロックのリズムに乗りにくいと言われるけど、その日本語でロックを歌ったバンドがあったろう。彼らこそ日本のロックの開拓者さ。フオークもうかうかしていられないよ。解るだろう。もっと日本語を大事にしなきゃ。インパクトを持たせながらもポップで、もっともっと日本語を大事にしなきゃあ」

 そのバンドはフォークの神様と言われた歌手のバックバンドを務め、その後、日本語を鮮やかにロックのリズムに乗せて歌い上げた。そしてこのバンドが解散したこの年の暮れに驚くべきもう一組のバンドが登場する。皮ジャンにリーゼントというそのものの格好だったが、その演奏する音楽はそれまでの日本のバンドとは確実に一線を画する響きを持っていた。ベースラインとバスドラムを前面に押し出したその音色はビートルズを髣髴とさせたが、それでも日本のオリジナルバンドのオリジナル曲であることに感慨深いものがあった。ビートルズがデビューしてからほぼ10年後の1972年の暮れのことである。
「アニメソングも面白いな、マニアがついているし…一つの極になるかもしれないな」

 小柄な男は一人でしゃべり続けた。時々、前の大柄な男が相槌を打つが、窓際の二人はついに言葉を発することはなかった。

 この四人を見て茂木純一ならこう推測したろう。「彼はフォークコンテスト出場を目指して練習しているんだよ。この辺の高校の同級生で2人は東京の大学に通い、残りの二人は地元に就職している。高校時代からのフォーク仲間だろう」と。

 また舘林ならこう言うだろう。「あのケースの中にギターは入ってないよ。過激ビラや爆発物製造法の書かれた『腹腹時計』の類だろう。彼らは過激派だ。フォークにいかれた若者を装って移動している過激派の一味だよ。ギターを持っていれば数人で移動しても怪しまれないし…それらしい話をしていれば確かにそれらしく見えるものだよ」

 列車はいつしか山間を抜け、平野を過ぎ、ネオンが灯り始めた街中を走っていた。列車は黄昏の彼方を目指して軋みを激しくする。黄昏の彼方には眩い光に溢れた輝かしい明日があるのだろうか。それとも光の届かぬ闇の世界だろうか。

 東京に着くまで目の前の二人は同じだったが、四人の若者は途中で降り別の乗客に代わっていた。

注):『腹腹時計』は1974年3月に東アジア反日武装戦線「狼」により発行された日本で最も危険な文書の一つとして知られる。