蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(11)

 列車は空いていた。8月もまだ10日ばかり残しており、帰省者の帰京はもう少し後になるのだろう。

 窓越しに見える山間の僅かな耕地は低地を蛇行し、濃い緑を揺らして遠くの町並みに続いている。その町の奥の霞んだ山々の上には真っ白な雲が浮いている。少しも動かず、じっとして青い空に浮いている。そして窓に当たる乾いた空気の不規則な擦過音は、規則的なレール音の間々に鋭い刃となって達彦の胸を突いてくるようだった。達彦は奇妙な胸の痛みを感じた。

 それにしても1年でこんなに変わるものなのだろうか。少女は背伸びしながらも大人の女の片鱗を見せ、達彦を慌てさせた。達彦にとって女は生々しい存在であったのだが、時折、成熟した女の様相を見せたとはいえ、雅子のそれに生々しさは感じなかった。あくまでも清廉で、無垢で、花開く前の蕾でしかなかった。だが最後に改札で見せた、何かを懸命に訴えようとして見開いた眼と、少し厚めの唇から洩れる切なげな吐息と言葉とに憐れみを覚えずにはいられなかった。その憐れみはもしかしたら愛おしさと同じものだったのかもしれない。達彦が彼女を少女ではなく女として見た初めて瞬間だったのかもしれない。しかしたとえ愛おしさを感じたとしても、その想いを少女に伝えるわけにはいかない。彼女はまだ中学生なのである。それを伝えれば、その瞬間から犯罪者の心理にも似た後悔の淵に落ちるだろう。常に自責と暗鬼に苛まれ、少女をまともに見ることが出来なくなるだろう。それは分りきったことだった。

 1年前とは違い、あれ程意欲のあった山野跋渉への興味は友の死と共に消え、達彦と所属クラブとの縁は切れていた。達彦はひたすら学業に励むべきか、代わるものを何か探すべきか迷っていたのだが、その迷いを忘れさせる程の勢いで少女の面影が浮かんでくるのを抑えきれずにいた。「暗闇を侵して女神は現れる」と或る詩人が謳ったその闇を払って、少女の面影は突如として浮かんでくるのだった。