蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(3)

「『別れの一本杉』を歌ってくれませんか。多分、皆喜ぶと思います。その曲とこの場所とは縁があるんです」

 つぐみが1回目のステージを終え、控えのテントに戻るのを入口で宮司が待っていた。
「えっ、『別れの一本杉』ですか。曲は決まっていますから、難しいと思いますけど…マネージャーさんと相談してみます」

 突然の申し出に戸惑ったつぐみは、独断で受けることも出来ず、また即座に断る訳には尚いかず、近くのマネージャーに視線を移して助けを求めた。曲は5曲で、「潮来花嫁さん」「さよならの町」「おんなの海峡」「悲しみの町」「旅立つ彼」と順番も決めてあり、カラオケはこの順で用意していた。
「突然の変更は無理だと思いますが、第一歌えるかどうか」と、マネージャーの壬生は二人に近づいて来てつぐみの傍らに立った。
「まあ、ここでは何ですから中に入りましょう」と、宮司を招き入れ、「どんな縁なんですか。作曲の先生は確か栃木の方だったと思いますが、その縁ですか」と続けた。
「はい、そうなんです。いや、そうではないのですが…」

 宮司の癖らしく袴を静かに叩いて撫でる。そして再び静かに叩いては撫でていた。それが一段落すると、次は雪駄を履き直した。実際、鼻緒に足の指の納まりが悪いようで、その後も何度かこの仕草を繰り返した。
「『別れの一本杉』の映画ご存知ですか。あの映画の撮影はここなんです。地元の人たちも大勢エキストラとして出ているのです。まあ、こんな田舎ですからそんなことは滅多にないことで、皆の記憶にもまだまだ新しいことなんです。ですから、何とかお願いできませんか」宮司は手を合わせて深々と頭を下げた。

 映画『別れの一本杉』の撮影は20年も前の1956年ことである。この神社の下の道で花嫁行列は撮影された。少し先の辻に一本の杉を立て、その木の下に地蔵をそれらしく安置して牧歌的な情景を演出し、撮影はなされたという。
「そうですか。前もってお知らせ頂ければ良かったのですが…」

 壬生は顎を掌で撫でながら少し考えて、「困ったな、オケはないし…アカペラじゃあ、しょうがないだろう。つぐみ、どうする…歌えるか。勿論、歌は知ってるよな、有名な曲だし…」と呟くように言う。

 つぐみは少し間を置いてから「歌は知ってます。人前で歌ったことはありませんけど、歌ってみましょうか」と答えて交互に二人を見た。

 主催者の願いを無下にはできない。その思いでつぐみは言うには言ったが、歌詞を全て記憶している自信はなかった。急いで歌詞を辿っても、2番の出だしの言葉はどうしても出てこなかった。
「ありがとうございます。無理言ってすみません。みんな喜ぶと思います」宮司はそう言うとまた深々と頭を下げた。
「分かりました。じゃあ、それで行きましょう」壬生はつぐみから宮司に視線を移してそう答え、「ああ、それから、宮司さん。カラオケは用意してませんので無伴奏になります。申し訳ありませんが、皆さんにも盛り上げてくれるようにお話して頂けませんか。歌う本人も初めてのことですので、宜しくお願いします」と頭を下げ、つぐみの肩をぽんぽんと優しく叩いた。

 横笛とササラの軽快な音色が悪戯っ子の歓声と共にテントの中まで聞こえてくる。ササラの砂袋を打ちつけるようなリズムは、軽快さや躍動感ばかりでなく、哀調を帯びた笛の音の間々に、獅子舞に潜むそこはかとない哀しみを感じさせて響いた。

 かつて藩主自らが家系の繁栄と五穀豊穣を願って舞ったのが由来とされ、爾来この地の人々によって引き継がれてきたこの舞は、その由来よりもその年月の長さによって、藩主の願いではなく民衆の望みを色濃く反映しているようだった。時の流れが主役を藩主ではなく民衆にしたのかもしれない。

 3頭の獅子は、雄2頭、雌1頭でその恋の駆け引きが表現されているといわれ、舞方は腹部に納めた小太鼓を打ち鳴らしながら首を揺らして踊り、囃方5人は牡丹の花をかざした箱を頭にのせ、箱の四方に唐草模様の布を下げて顔を隠し、それぞれに笛を奏で、ササラを擦って拍子をとった。

 つぐみの降りた舞台で二度目の奉納の舞が始まっていた。

注)ここでいう「ささら」とは棒ささらのこと。


 「ささら(簓)とは竹や細い木などを束ねて作製される道具の一つ。洗浄器具として用いられるほか、楽器や民族舞踊の際の装身具の一部としても用いられる。(中略)秋の稲穂が擦れあう擬音をささらといい、これを表現する楽器としてのささらがある。編木という表記がある。ささらを使った舞をささら舞、踊りをささら踊りという。全て五穀豊穣の意味があり、地方によっては魔よけの意味をもつこともある。棒ささら:多数の溝を彫り込んだ木製の棒を、細い棒で擦ることにより音を発する民俗楽器」(ウィキペディア