蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(2)

 翌日、つぐみは栃木県北部の小さな町の神社で、その春祭りの舞台に立った。毎年4月の例大祭がその地域最大の行事で、山車が町中を巡り、主会場の境内には多くの出店が並び、他にも流鏑馬や演芸会等が催される。そして最上部の神楽殿では太々神楽と獅子舞が奉納される。その奉納の舞いの合間に2度のステージを務めることになっていた。ワンステージ5曲の約束で、つぐみはオリジナル2曲の他に良く知られた演歌2曲と最近気に入っているフォークを1曲選んでその5曲を決めていた。キャンペーンは新曲ばかりだし、盆踊り会場での曲は決められていたから、歌の指定のない今回は自分の曲と好きな歌を歌える楽しみがあった。

 この神社は孝謙天皇天平年間(奈良時代)に、この地から約1km程西側の高尾の森に勧請されたのが始まりとされ、その後、江戸時代の寛文8年(1668年)に当時の藩主によって現在の地に移されたと伝えられている。高尾の森にあった平安時代の頃に、那須与一が「湯の神」を祀ったことに大宮温泉神社の名の由来があり、今なお神々の座す霊峰に鎮まる社として地域の人々の生活に密接に関わり、季節の折々にそれぞれの行事が催された。また、この杜は檀山とも言われ、「檀山夜雨」と題された次の歌が郷土史に記されているという。

  まゆみ山夜降る雨のしめやかにただきこゆえるは鈴虫の声

 道路沿いの一の鳥居を潜ると、その先に折れて続く石段ごとに立つ鳥居が見えてくる。上に行くにつれ傾斜は急になり、最後の石段にかかると横に立つ樹齢500年といわれる杉の木はさらに大きく見え、その巨大さに圧倒される。巨木は参拝者の畏敬を受け、泰然として境内を見渡しているようだった。その樹の威光を避けるがゆえに陽は地面を照らさず、杜は鬱蒼としている。苔むす石段の上に立つと豊潤な樹の香りに包まれ、湿潤な森に迷い込んだような気分になる。それは、すべてを森に任せて漂う精霊の心持で、世俗の悪習とは無縁の幼少の清廉な心に戻ったような気分だった。

 本殿は柱や回廊に風雨に晒された年月を刻み、褐色に変色した亜鉛葺き屋根の古色蒼然とした姿で最上段の中央に在った。そして、その本殿左側に後ろの木立を従者のようにして立つ、間口5〜6m、舞台高1m半程の小ぢんまりとした建物がつぐみの舞台となる神楽殿だった。

 春祭りには、夏祭りや秋祭りと違って、その語感に人の心を揚々とする響きを持つが、それはここに集まった人たちにも表れ、皆一様に頬を緩ませたままだった。知り合いとの挨拶さえ、普段は憚られる意味のない大笑いが絶えることはない。暗い洞穴に閉じ込められたような季節から生命の芽吹く季節への変化に、体は時を選ばず反応し、心は無意識裏に弾んでしまうのだろう。それは生きる命の必然の反応なのかもしれない。人はこうして自然と共に生きて来たのだろうし、これからも生きて行くのだろうと思うと、生命の尊厳は自然と共にあることでしか全うされないと思えるのだった。

 年月がその町の歴史を作るのか、その土地の人々の営々と続けられた生活が歴史となるのかを判じる必要はないだろうが、この神社はその双方の意味を受け継いで在り続けた。