蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

4-4森昌子と旅立つ彼(ひと)

 「愛する人に歌わせないで」(作詞、作曲:森田公一)、「旅立つ彼」(作詞、作曲:佐々木勉)、「わかって下さい」(作詞、作曲:因幡 晃)の3曲を選び、「森昌子 カバーフォーク」とする予定で調べ始めたのだが、「旅立つ彼」で意外とややこしいことになった。佐々木勉が二人いたのである。
 一人目の佐々木勉がこの「旅立つ彼」を作った「ささきべん」(1938年生)で、「あなたのすべてを」「星に祈りを」「別れても好きな人」「夏のお嬢さん」等、フォークやデュエットソング、アイドル歌謡等作品が多彩でヒット曲も多い、元々はシンガーソングライターであった人である。そしてもう一人の佐々木勉が「ささきつとむ」(1932年生)でサベージの「いつまでもいつまでも」「星のささやき」「夜空に星を」「哀愁の湖」等の作者である。

 二人の佐々木勉は「星に祈りを」「星のささやき」「夜空に星を」等似かよったタイトル名もあって何かと紛らわしく、また一人目の「ささきべん」がブロードサイド・フォー、二人目の「ささきつとむ」がサベージと、同時期のフォークとエレキのバンドを代表する二組に曲を書いている点もどこか似かよっているのである。

 ブロードサイドフォーはあの黒澤明の息子黒澤久雄のバンドであり、サベージは宇野重吉の息子寺尾聡が属したバンドであった。フォークソングマイク真木の「バラが咲いた」に始まるといわれが、それに続いたのがこのブロードサイ・ドフォーの「若者達」であり、さらに森山良子が登場して、カレッジフォークと呼ばれるジャンルが作られていく。一方サベージは、ビートルズベンチャーズの影響を受けたエレキブーム期のバンドであり、それはタイガースやテンプターズ等の、当時の少女達の圧倒的な支持を得たグループサウンズへと繋がっていく。「いつまでもいつまでも」はその代表的な曲目であった。大衆音楽の変化は、この頃より若者嗜好の音楽を中心として顕著になるのだが、その要因となった大まかな出来事や曲目を次に記して、その変遷の様子を思い起こしてみたい。


 ベンチャーズの最初の来日は殆ど注目されなかった。また吉田拓郎はアマチュア時代からその名は知られており、69年に「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」を「広島フォーク村」名義で出しているが、これは上智大の全共闘メンバーによる闘争資金を得るための自主制作盤であるため、70年の「イメージの詩」(エレックレコード)をそのデビューとした。

 森昌子の歌う「旅立つ彼」が作られた年を明確に知り得てないが、佐々木勉が60年後半に活躍した人であり、ダークダックスの「旅立った人」が69年であることからも、66年〜69年の頃につくられたことに間違いはないと思う。また森昌子が歌う「旅立つ彼」の歌詞が作者の佐々木勉や森山良子と異なっているので、参考までに以下に記す。さらにダークダックスが1969年の「結成15周年記念アルバム」に収めた「旅立った人」は佐々木勉の「旅立つ彼」であるのだが、何故か一文字が違っている。詳細は不明である。


 この頃の変化の中心はビートルズやボブディランの影響による自作自演にあり、それは反戦に象徴されるように権力や規制に対する抵抗の意味合いも含まれていた。そして同時にメディアとの対立をも意味していた。そうした人たちはアングラと呼ばれたインディーズ盤で注目された歌手に多いのだが、大手レコード会社への移籍後も岡林信康吉田拓郎はテレビへの出演を拒み続け、反抗や改革を常に秘めて持つ若者の支持を得たともいえる。


「旅立つ彼(ひと)」
作詞、作曲:佐々木 勉、歌:森昌子 1980年発売「旅立ち」より


悲しい時にうたえる歌が 私は今ほしいの
旅立つ人の後姿が 涙にかすんで見える
今日まで好きと言えずに 過ごしてしまったことが悲しいの


別れの夜がこんなに辛い ものとは知らなかったの
いつでもそばにいてくれたから 気がつかなかった私
どうしてもっと素直に 優しい人の言葉が聞けなかったの
どうしてもっと素直に 優しい人の言葉が聞けなかったの


私は書くの長い手紙を 気の済むまで書きたいの
初めて書いた愛の言葉に あなたの笑顔が浮かぶ
わがままばかり言ってた 私のことが今では恥ずかしい


謝りたいの今日までのこと 許してもらえるかしら
私ひとりで生きてゆけない 心が寂しい夜更け
帰って欲しいもいちど あなたの胸に甘えて眠りたい
帰って欲しいもいちど あなたの胸に甘えて眠りたい


 1番2番は殆ど同じだが、3番4番は歌詞を一部をかえている。得に4番に多いが、理由は不明である。またダークダックスは3番を抜かし、1番2番4番を「旅立った人」としている。