蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

8、森昌子 エンディング曲

1、「この胸の幸せを」
作詞:杉 紀彦、作曲:佐々木勉
1977年7月「ビッグショー」 歌:森昌子18歳
http://www.youtube.com/watch?v=zGHzBhs9zm0

 「高3トリオ解散コンサート」はこの「ビッグショー」放送日の4ヶ月前であり、アメリカへの旅立ちは、彼女の著書によれば「19歳の誕生日を迎える1ヶ月半前のこと」とあるから、この放送日のほぼ1ヶ月後の8月末か9月初めの頃となる。そこで彼女はイーグルスの「ホテルカリフォルニア」を常に聴いたという。カリフォルニアの青い空は彼女を優しく迎えたろう。ウエストコーストサウンドもまた彼女を優しく包んだろう。そうした中に身を置くうちに彼女は、自分の悩みがいかにちっぽけなものであったかに気づく。青春にある者は時として迷路に入り込み、二度と抜け出せないと思う程に悩む。だがこれをいとも簡単に抜け出すこともある。そして彼らは夢を追って彷徨うがためにこれを繰り返す。しかし青春にある者の蹉跌は許されるのである。未来は彼らに託されているが故に。高嶺の百合のそれよりも、その意志高き花がある。この世に歌がある限り、私は歌ういのちの限り。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2、「愛をこめて」
作詞:森 昌子、作曲:あかのたちお
1981年9月「10周年記念リサイタル」 歌:森昌子22歳
http://www.youtube.com/watch?v=jOSllDWhr8w

 彼女自身の手になる唯一の歌詞である。1番にはデビューから高校卒業の頃までのことが、2番にはそれ以降の混迷と明日を信じようとする気持ちが盛り込まれた歌詞で、彼女の歌手としての歩みが書かれている、と私は勝手に理解している。そして間もなく、彼女の一つの旅は終りを迎えるのだが、その予感がこの歌詞にはある。そして彼女自身もまたそれを確かな手ごたえとして感じている。風雪の時は過ぎ去ろうとしているのである。さらに、この詩に彼女自身を感じた阿久悠は、この詩を踏まえ、関係した人たちの想いを代弁して最後の「さようなら」を書いている。私はそう思えてならない。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
3、「さようなら」
作詞:阿久 悠、作曲:遠藤 実
1986年8月「ファイナルコンサート」 歌:森昌子27歳
http://www.youtube.com/watch?v=P_GCqfn25b4

 哀切を帯びた伸びやかな歌声は天空に響き、無限に広がって地上の隅々をも覆い尽くす。この無限に包まれて人は、なお胸奥に蟠る夢への想いや現実への戸惑いに苛まれることになる。感傷へと誘う歌詞と哀切に満ちた伸びやかな歌声はこの場面に最も相応しく、そして、バイブレーションをかける箇所を1番と2番とでは違えているが、それは嗚咽ともユリとも判別しがたい箇所で、これは感情の昂りのままに従ったのかも知れず、これもまたこの場面に似つかわしい。それは、1番は2度目の「さようなら」の後、2番は「体がやせました」の後の所である。後に「この場面を記憶してない」と自著に記すように、記憶を失う程に没頭していたのだろう。共に「唯一無二の曲ではあるけれどこの歌唱は凄い。特別な場所ではあるけれどその存在感は凄い。やはり並みの歌手ではない。天賦の才能を感じる」に言い尽くされる彼女のファイナルでの姿である。