蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

4-3 大正ロマンと森昌子

1984

 大正ロマンというと真っ先に思い浮かぶのが竹久夢二の絵であろう。倦怠と耽美の世界にいるあの女性の姿である。その絵にどこか懐かしさ感じるのは何故だろう。童謡の挿絵で見たからだろうか。大人の雑誌を盗み見た印象が強烈だったからだろうか。よく見れば稚拙と言えなくもないが、妙に強烈な印象として残る。竹久夢二の代表作とも言われる「黒船屋」は、ウ゛ァン・ドンゲンの「猫を抱く女」を手本としているらしいが、ある人はウ゛ァン・ドンゲンの黒猫はしつこさが足りず、ローランサンの白猫には可愛さが足りないという。それに引きかえ、夢二の黒猫は微細に描かれてはいないが妙に生々しい。その生々しさが少年に強烈な印象を残したのかもしれない。


 竹久夢二は当時の日本画壇、洋画壇共に縁のない無籍者であり、独立独歩型の風俗画家であった。その独特な作風は他に類型を見ないが、作品は計算された上に成り立っているという。「黒船屋」の右手はウ゛ァン・ドンゲンの「猫を抱く女」のそれであり、左手は浮世絵にその原型があるという。描かれる世界は倦怠と耽美が主であるが、南蛮趣味の影響も随所に見られるという。若い頃に田舎から出て来たばかりの神戸での印象が根底にあるといわれ、外国への思いもその絵に示されているのかもしれない。

 また夢二は、北原白秋吉井勇等が結成した「パンの会」とも関わり、耽美主義運動の一翼を担っている。吉井勇は伯爵家の出で、放蕩歌人として一時期を過ごした人物であり、夢二と同じく大正の男特有の軟派な一面を持ち合わせている。女性に限らず、人間としての自由や主張が尊重され始めた時代でもあったのだろう。「今で言えば、ま、不良ね」これは若い頃に夢二と親密な関係にあった長谷川カタが、晩年に夢二について語った言葉である。ここに無骨な軍人のイメージが強い明治の男たちとは異なる、軟派としての大正時代の男の姿が浮かんでくる。


 大正時代は15年と短いが、明治から昭和への過渡期であり、文明開花から高度成長への変換の基礎となった時期でもある。小さきものに愛しさを覚える日本人の心に、大正期はその短きが故に同様の慈しみを覚えるのかもしれない。「大正ロマン」には郷愁にも似た懐かしさと愛しさがあるのだが、他にも焦点の当て方により、大正モダン、大正リベラリズム大正デモクラシー、大正デカダンス等と表現される場合もある。そこには見る面による多様性があり、場合によっては世紀末的な頽廃を示すこともある。民主主義の魁ともいうべき吉野作造の「民本主義」が生まれた時代であり、自由や個人の主張が公にされた時代でもある。人々の意識が多様性を持ち始めた時代ということなのかもしれない。懐かしき時代はその短さ故に、愛しさの他にも様々な想いが入り混じってもいるのだろう。


 森昌子の歌う大正期の曲は多く、LPでいうと「マコ思い出の歌」(1973年)、「涙の熱唱」(1977年)、「日本のうた・3枚組」(1986年)に特に多い。LPの場合収録曲の傾向を決めることも多く、それは当然なのかもしれない。初期の「マコ思い出の歌」に収録される大正期の曲は童謡・唱歌が主である。今回は「涙の熱唱」「日本のうた・3枚組」に収められている「ゴンドラの歌」に焦点を当てようと思う。この曲は若い頃のコンサートのみならず再デビュー後にも歌われており、森昌子にとって縁の深い一曲でもある。


 「ゴンドラの歌」は芸術座公演「その前夜」の劇中歌として、作詞吉井勇、作曲は中山晋平によって作られ、松井須磨子によって歌われた。またこの劇は早稲田大学演劇博物館の竹本氏によれば、脚色を楠山正雄、音楽を吉井勇が担当して、大正4年4月26日から4月30日まで帝劇において上演されたという。その原作者ツルゲーネフ(1919〜1883)は、ロシア革命思想に大きな影響を与えた「猟人日記」や、19世紀ロシア小説の最高傑作の一つに挙げられる「父と子」、さらに自伝的な作品である「初恋」等の代表作を持つロシアの小説家、劇作家である。そしてロシア、ヨーロッパの懸け橋の役割を果たした近代リアリズム文学の父とされる。「その前夜」はその1860年の作品である。

 このツルゲーネフの女性観には、大正期の日本の男性と相通ずるものがあるように感じる。ツルゲーネフは「純情、献身、堅忍と勇気とに恵まれたもの。その気まぐれ、薄情、多情さえ男にとって美しい激情的な存在」と、女性を理想的な人間として捉えていると宮本百合子はいう。それはトルストイとは相反する考えで、トルストイはもっと動物的に或は愚劣に或は恐ろしく、美醜をかねそなえた具体的な人間として女性を考えていた。ツルゲーネフ自身は貴族の出であったが農奴制に疑問を待ったように、その女性観は女性に限らず人間に対してのものだったのかもしれない。

 「ゴンドラの歌」は、ツルゲーネフが理想の女性の一人としていると思われるエレーナを演じた松井須磨子によって歌われる。その場面は、劇のクライマックスの第4幕目、エレーナが亡命先のベネチアに着いた夕べの所である。ホテルの窓辺に佇むエレーナが病める恋人を気遣い、どこからともなく流れて来るマンドリンの音色に合わせて涙ながらに歌ったとされる。しかしエレーナの祈りも虚しく、恋人のブルガリアの革命志士イサロフは病のために命を落としてしまう。当時のプログラムには「ゴンドラの帆影も銀色に霞む春4月の朝ぼらけ、熱い最後の抱擁のまま、イサロフは志しを抱いて死ぬ。エレーナは一人寂寥の中に、悲しい生を続けていく事になる」 と記されているという。


 この「その前夜」は劇そのものの評判は芳しくなかったが、劇中歌は評判となり、今日まで歌い継がれて大正ロマン期を象徴する一曲となるのである。
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参照:HP「奈良フィル混声合唱団」(早稲田大学演劇博物館の竹本氏の文章を含む)、「歌おう大正時代」(高橋整二)、他