蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

7-2 「さようなら」森昌子(2)

(1986年)
 ファイナルコンサートもまた素晴らしいステージであるが、断然の一曲は最後の「さようなら」であろう。「せんせい」「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」等、彼女を代表する曲も良いのだが、ここでは「さようなら」に尽きる。この曲で森昌子という歌手が本物であると感じた。「唯一無二の曲ではあるけれどこの歌唱は凄い。特別な場所ではあるけれどその存在感は凄い。やはり並みの歌手ではない。天賦の才能を感じる」と、動画サイトにコメントしたが、何度聴いてもこの思いは変わらない。
 この場での「さようなら」は圧巻である。感情が昂ぶるのだろう、それは抑えても涙となって流れ出る。頬を伝うひと雫は慟哭への道標であろうか。その慟哭は抑える程に嗚咽となって洩れてくる。しかし彼女の歌声は確実に聴く人に届いている。ここに彼女の歌手としての資質を見る。常に纏わりついていた「演歌」の幻想をも断ち切っているとさえ思える。録音盤では演歌を意識し過ぎて、曲の本質を見せてはいない。阿久悠の詩にも応えてはいない。また彼女の本来の歌唱力も示してはいないと思えるのだが、以前の天才少女に戻ったこの日の彼女には演歌もポップスもない。あるのは彼女の歌、ただそれだけである。彼女を演歌歌手に限定することがいかに無意味か、あらためて感じざるを得ない。だが、さようならを前に涙するこの時でさえ胸奥の蟠りは消えてはいない。夢への想いは突きつけられた現実に戸惑うばかりで、諦めには至っていないのである。


 彼女の最後の曲となるこの「さようなら」の歌詞には、歌手森昌子本人のみならず作詞家阿久悠、そして関係した総ての人々に繋がる想いが記されていると感じる。「こころを翔び立つ小鳩…」にはファンの寂しさが、「言葉はたくさんあったのに…」には阿久悠の悔しさが、「小枝をはなれる枯葉…」には遠藤実の侘しさが、そして「生まれて何度も言ったのに…」には美空ひばりの哀しみが、という具合にである。
 ファンは5年後10年後、彼女がどんな歌手になっているのかを楽しみにして来た。歌謡界の頂点に立つ彼女を待っていたのである。阿久悠はそんな彼女のファンのみならず、彼女の周囲にいて見守り続けた人々の想いをも代弁する。本人もまた言い残したことが沢山あることに気付いていただろう。言わなければと思いつつこの日を迎えてしまったことを悔やんでいた筈だ。しかし、阿久悠にはどうしても越えられない一線、美空ひばりに対する遠慮があった。
 遠藤実はその最前席に陣取って叫ぶ。「まさこーッ、まさこーッ。幸せになれよー、絶対幸せになるんだぞーッ」若葉が色鮮やかに身を染めて親元を離れる季節が来たことを恨みながらも、それを押し留める術がない今、自らを納得させるにはただこう叫ぶ他はなかった。
 また、彼女を妹のように可愛がった美空ひばりもその一人で、事あるごとに話した彼女の一言一句は相当に重いが故にその哀しみは深い。その最たるものが5周年特番で朗読した次の一節であろう。「熱い演歌の灯火を昌子がきっと守るでしょう」と。自分の後継者として認めた森昌子の引退を最も哀しんだのは、他ならぬこの美空ひばりであったのかも知れない。
 更に視点を変えると、この「さようなら」と女王復活の歌「みだれ髪」に、森昌子美空ひばりのその時々の言葉や折々の想いが浮かんでくる。その頃のひばりの心境たるやいかばかりかと思う。病にありながらも森昌子の最後の歌に、「みだれ髪」応え続けた美空ひばりに哀しみの影を見るのは私だけだろうか。


 森昌子はデビュー当時の笑顔を思い出させる、少しはにかんだ様な表情を最後にステージを去った。幕は降ろされたのである。

 その後、演歌界の宝を失った女王はその哀しみを見せず、「みだれ髪」で応え続けるが、力尽きて帰らぬ人となる。二人の深い縁を人々の心に残して…。

 しかしこの期に及んで尚、胸奥の蟠りが消え去ったわけではない。感傷の海に身を浸し、ただただ空疎な時間をやり過ごすより他はない。その時間がこれからの空虚な日々を癒してくれることを信じて…。