蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

3-1 森昌子 天才少女の旅立ち

(1977年頃)
 「恋の歌をいつか本当に歌える様になりたいと思います。涙を、夢を、幸せを、心の底から体中で歌えるようになりたいと思います。見ていて下さい」
 これは1977年7月31日(収録は前月27日)に放送された「ビッグショー」での森昌子の言葉である。18歳の女性の言葉としては少々重い印象を受けるが、数ヶ月前に高校を卒業したという意識がそう言わせたのか、晴れて社会人となった直後の大舞台に思うことがあったのか、この言葉にこれから歌一筋に進もうとする彼女の意欲が窺える。
 経歴を見る限りこの「ビッグショー」は彼女の転機となる重要な旅立ちの舞台であった。高校卒業の一年前頃から5周年記念のテレビ特番、コンサート、イベントなどが目白押しとなり、また卒業直後にも高三トリオの解散コンサートと、まさに多忙を極めた中での旅立ちでもあった。「風と雲と虹と」等の幾つかのテレビドラマや映画「どんぐりッ子」もこの頃のことである。


 「ビッグショー」はNHKの紹介文によれば「昭和49年から54年(1974〜1979)まで放送したワンマンショー形式の番組で、出演者は歌謡界のビッグな歌手にとどまらず、映画俳優、舞台人、作詞家、作曲家など、芸能界の第一線で活躍中の人たち。そのあふれる才能だけでなく人間性をも浮き彫りにし、好評を博した番組」とある。

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 NHKオンデマンドには現在も次の番組が保存されていて、手続き後有料で視聴できる。

 越路吹雪は1978年で、それ以外はすべて1977年の放送である。残念ながら森昌子の番組は残されていない。

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 「ビッグショー」は民放では考えられない、NHKらしい番組である。その紹介の通り出演者もその道の大物ばかりで、18歳の高校を卒業したばかりの彼女の出演は快挙とも言えるものであった。しかもそれはラッキーではなく、森昌子のそれまでの経歴、「スター誕生」初代グランドチャンピオン、「紅白」15歳での最年少出場、「ものまね王座決定戦」初代チャンピオン、各局での5周年特別番組、美空ひばり以来の歌舞伎座公演等からも分かるように必然であった。確かに彼女は期待されていたのである。
 才能ある者はその宿命として周囲の多大な期待は背負う。それは時として、その人にとって大変な重荷にもなる。会場での反応は良いのにそれが結果に結びつかない時(レコードが売れない、ヒット曲がでない等)、自分の想いが本当に観客に伝わっているのかと不安になる。期待に応えなければとの思いが昂揚する程にそれは空回りし、更に不安が増してくる。才能は時としてその人を試して奈落へ突き落とすのかも知れない。彼女を見ているとそんな想いに駆られて仕方がない。しかしそれでも人は彼女に期待する。彼女はそうした人々の想いを胸に秘め、「見ていて下さい」と自信を見せる。その姿に悲壮なまでの決意を垣間見て痛々しい気持ちになる。


 この年の5月頃に彼女はこう言っている。「最近は歌に対する気持ちが難しくなった。中学や高校の頃は出された歌を無心に歌っていたけど、最近はいろいろ考えてしまうので難しい」と。またこの「ビッグショー」の中でも「デビュー6年目にしてやっと歌が難しく思えるようになった」とも言っている。裏を返せば、彼女はこの時まで、歌に苦労したことがないということである。それは当時の映像を見れば一目瞭然で、演歌に限らず歌謡曲唱歌、童謡、民謡、歌真似等々を楽々と歌いこなす万能の姿に納得せざるを得ない。高校を卒業したこの頃から、彼女は歌手として、歌に対するある種畏敬のようなものを感じるに至ったのではないか。そうであれば、それは天才少女が確かに成長している証であり、大人の歌手への変容の最中にあったと言えるのかも知れない。
 コンサートのエンディング用に作られたこの「この胸の幸せを」はビッグジョーでもエンディングに歌われている。文頭の言葉はこのエンディング曲の直前に語られたもので、そこで見せた彼女の意欲の裏に潜む決意に、成長した少女歌手の真の姿を見るようで頼もしいと思う反面、前にも述べたとおり、痛々しいと思わぬでもない。複雑な思いに駆られるのである。しかし既に緞帳は開いている。彼女の道は前に進む以外にはないのである。天才少女の旅立ちは1977年の「ビッグショー」の舞台であった。そしてその1977年は、演歌や歌謡曲にとって苦難の時代でもあった。


 彼女がデビューする以前の1967年頃から若者の間にビートルズベンチャーズの影響を受けたグループサウンズの隆盛があり、大衆音楽は若者の志向する音楽を中心に多様化していく。そしてそれはフォーク、和製ポップス、アイドル歌謡、更にそれらが混合したニューミュージックへと変化して行く。歌謡界にもこの波は押し寄せ、特に演歌界は苦難の時代に入っていた。既に時代は彼女の側にはなかったといって良い。嘗て遠藤実は秘蔵っ子にこう言っている。「人生は春ばかりではない。厳しい冬もあるのだからそれを乗り切って生きて行って欲しい」と。美空ひばりも5周年特番の中で「これから始まる風雪に昌子が如何に耐え抜くか、その青春の生き様を共に見つめていたいもの」との詩を朗読している。阿久悠もまた大人の歌手としての成功を願い、事あるごとに言葉を掛け続けた。彼らは共に早熟な天才の晩年を想い、それぞれがそれぞれの想いを込めて語り掛けたのである。
 そして森昌子もまた恩師、尊敬する先輩歌手のその想いを知っていたからこそ、この旅立ちの舞台で悲壮なまでの決意を口にする。しかし、彼女の決意は空回りしてしまう。既に時代は森昌子の近くにはなく、同じ高三トリオの一人、山口百恵の傍らにあった。山口百恵はその薄幸のイメージを捨てて危険な香りのする大人の女へと変貌し、時代の波を味方にして若者の支持を得るのである。そして森昌子は用意された別の道を歩むことになる。天才少女は試練の待つ荒野に歩を進め、その資質を問われる運命に置かれるのである。
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 この頃の森昌子の軌跡 (HP「想い出そして未来へ…」より)
1976.3.3  「デビュー5周年森昌子ショー・演歌に涙と青春を」
         NET特別番組(司会玉置宏 ゲスト美空ひばり、他)
1976.7.1   デビュー5周年 宇都宮二荒山神社キャンペーン
1976.9.15  「熱唱!愛と涙で綴る歌一筋の青春・森昌子の18年」
         12ch心で歌う50年(司会高橋圭三 ゲスト遠藤実淡谷のり子、他)
1976.9.27  5周年記念歌舞伎座特別公演(LP「青春の熱唱」)
1976.10.10 「森昌子デビュー5周年記念」NTVスター誕生
1976.10.13  18歳の誕生日
1976.10.23 「熱演!森昌子17歳のすべて」TBS(5周年記念歌舞伎座特別公演)
1977.3.1 堀越学園卒業式
1977.3.27  花の高三トリオ解散コンサート(武道館)
1977.3.31  「花の高三トリオついに解散・三人娘涙の卒業式」NTV木曜スペシャル
1977.6.27  「ビッグショー・森昌子NHK(収録NHKホール)
1977.7.31 「ビッグショー・森昌子NHK(放送)
1977.8.27  新歌舞伎座公演(大阪)(LP「涙の熱唱」)
1977.8.28 新歌舞伎座公演(大阪)(LP「涙の熱唱」)

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参考にさせて頂いた作者、関係者の方々に感謝申し上げます。
HP「想い出そして未来へ…」、You Tube投稿動画、ウィキペディアNHKオンデマンド、他

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2010.2.23付記
 「ポニーキャニオン森昌子BIOGRAPHY」を見て、「ビッグショー・森昌子」の放送日が私の参考にした資料と異なっていることに気づき調べてみた。ビッグショーは毎週日曜日の放送であり、1977年の7月8月は以下の通りの放送日と出演者であった。

  • 7月 3日 (日)田端義男
  • 7月10日(日)第11回参院通常選挙開票速報のため中止
  • 7月17日(日)ブレンダリー特集
  • 7月24日(日)加山雄三
  • 7月31日(日)森 昌子
  • 8月 7日 (日)平尾昌晃
  • 8月14日(日)ミヤコ蝶々
  • 8月21日(日)坂本 九
  • 8月28日(日)舟木一夫