蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

他29、別れの一本杉


映画「別れの一本杉」から。川喜多雄二と雪代敬子


春日一郎の「別れの一本杉」まずはお聴きください。
http://youtu.be/stjXNVMhvg8


 「別れの一本杉」のイメージはこの女性の言葉の通りだ。「たまんないんです」の言葉でこの歌に対する女性の想いが伝わってくる。それはこの歌に対する父親の想いを思うからで、その想いは父なき今さらに強くなっているのだろう。
 歌番組のアシスタントを努めた方だと思うが、こうした言葉を遣うことのできる人が少なくなった。


 さらにもうひとつ。森昌子と春日八郎の歌う「別れの一本杉」。これは5周年記念番組だろうか…。なんとも清冽である。余りいい言葉ではないのかもしれないが、清純や清楚ではなく清冽を思う。


春日八郎・森昌子「別れの一本杉」
http://youtu.be/RHxATETPDQM

 

「別れの一本杉」
・作詞:高野公男、作曲:船村徹、歌:春日八郎
・発売:昭和30年12月


 
 ちなみな高野公男は茨城、船村徹は栃木、春日八郎は福島の人。土工をしながら苦労して書いたこの「別れの一本杉」で高野の作品は世間に認められる。しかしその翌年の9月、高野は26歳の若さでこの世を去る。「別れの一本杉」が売れてこれからという時に肺結核にたおれてしまう。
 この早世の詩人を惜しんで映画は作られ、昭和31年11月公開された。映画「別れの一本杉」の概要です。


映画「別れの一本杉」
・1956年(昭和31年)松竹
・監督:萩山輝男、出演:川喜多雄二、雪代敬子


 詳細は「goo映画」をご覧ください。
別れの一本杉 - goo 映画


 映画の一部は栃木県北部の町で撮影された。冒頭の写真はその時のもので、下に掲げたのはその時のスナップ写真。

木の幹に筵を巻きその上に杉の皮を被せて太く見せたという。



馬に揺られる花嫁は小林咲子役の雪代敬子


 この映画について小説「松葉の流れる町」の中で少し触れているのでその箇所をリンクします。興味のある方はご覧ください。
松葉の流れる町(3) - 蜂太郎日記


 撮影は昭和31年の10月、そして公開は11月だったそうです。残念ながら私はこの映画を観てないのですが、フィルムがまだ残っているなら観てみたいものです。日本映画製作者連盟によれば、この昭和31年に映画は382本作られています。これはいわゆる配給大手四社の数字ですから、その他の映画を含めれば数はさらに増えます。1日1本以上の新作映画が作られていたのです。娯楽の少ない頃で娯楽の王様は映画の時代でしたが、それにしてもその多さに驚きます。その多くのフィルムが全て残されているとは思えないのです。
 また、これも同連盟によるのですが、この年全国に映画館は6,123館あったそうです。これはこの後数年増え続け、昭和35年の7,457館をピークに減り始めるのですが、それはテレビの普及がオリンピックを境に加速したことにも理由があるのかもしれません。
 主演の川喜多雄二はこの年16本の映画に出ています。主役級の俳優さんは1ヶ月弱で1本の映画を作り上げていたようです。
 参考までに昭和31年の川喜多雄二の作品です。


1、角帽三羽烏(1956年、松竹)
2、君のうたごえ(1956年、松竹)
3、続・この世の花 第六部 月の白樺 第七部 別れの夜道(1956年、松竹)
4、足のある幽霊(1956年、松竹)
5、ここに幸あり 前篇・誘惑の都(1956年、松竹)
6、ここに幸あり 後篇・花咲く朝(1956年、松竹)
7、白い魔魚(1956年、松竹)
8、続・この世の花 第八部 さすらいの浜辺(1956年、松竹)
9、東京チャキチャキ娘(1956年、松竹)
10、三羽烏再会す(1956年、松竹)
11、君は花の如く(1956年、松竹)
12、スタジオ超特急(1956年、松竹)
13、女優誕生(1956年、松竹)
14、この世の花・完結篇 第九部 愛の裁き 第十部 砂の抱擁(1956年、松竹)
15、別れの一本杉(1956年、松竹)
16、踊る摩天楼(1956年、松竹)


 別れの一本杉については小説の中で書いたこともあり、ブログ記事として書く気はなかったのですが、ギター前奏に対する女性の言葉や森昌子の歌を聴いて考えを変えたのです。後は映画に巡り会えれば言うことはないのですが…。


 最後に作曲者船村徹自身の歌で、
船村徹「別れの一本杉」
http://youtu.be/vDuJUl0SHI0