蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(13)


水彩


「僕も考えるところがあって…」ジャックは掌で顎を抑えながらポツリポツリと話し始めました。
「葉山が心理学に移ったことに僕は動揺した。葉山にダメなものが僕に出来るのかと。葉山と同じく宇宙はニコラスに任せたほうがいいのではないかと。そして悩んで出した結論は葉山と同じだった。大学を辞めたことだけは少し違っていたけれど、結論は同じだった。僕と葉山はそれほどニコラスの能力に畏怖したんだ。僕の能力では宇宙の謎はいつまで経っても謎のままだろう。アインシュタインホーキング博士のような創造力がなければ宇宙には立ち向かえない。誰が、何のために宇宙を造ったのかを解くのは、ローマ法王ばかりでなく僕らにも与えられた命題だと思っていた。それは葉山も同じだった。だけど、僕には荷が重すぎた。それをニコラスに教えられたのさ」そう言ってジャックは天を仰ぎ、そのまま暫く中天を眺めていました。
「難しいことはいいの。それで、今は何をしてるの」
「漁師だよ、マリア。僕はここで漁師をしてる。宇宙はニコラスに任せて海を探ることにしたのさ。漁船は買ったし、近いうちに友人と缶詰工場を始める」
「そう、それで漁師のあなたが何故まさこに近づいたの。キッドはこれを知ってるの」
「ああ、そうだよマリア。僕は葉山に頼まれたんだ。若い歌手が行くから見ていてくれって」
「ええっ、秋葉さんが」モデルは改めてジャックを見つめました。
「そうだよ、ガール。君がサンフランシスコ空港に降りた時から、僕は君の近くにいた。葉山は詳しいことは教えてはくれなかったけど、僕は日本でガールを見たことがあって、ああ、あの娘だって直ぐにわかった。それでつい、声をかけてしまったけど、実は葉山からはそれをきつく止められていたんだ。マリア、済まないけどこのことは葉山に内緒にしてくれないか。ガールも頼むよ、葉山との約束があったんだ」
「ジュニア、今でもキッドとは連絡が取れるの」
「ああ、もちろん」
「じゃあ呼んで。直ぐにアメリカに来るようにって、ジュディを助けてあげなさいって」
「マリア、彼はもうアメリカに来てるよ。2日前に僕はサンフランシスコで会った」
「ええっ」マリアの目が輝きました。そして「ニコラスのことは知ってるの」と続けます。
「ああ、知ってた」
「マリア、実は私が知らせたの」モデルは申し訳なさそうな顔で口を挟みます。
「そう、まさこが…。それでいいのよ。で、キッドは今どこに、サンラファエロには来なかったわ」
「ニューヨークへ行った。何か調べることがあるとかで、2、3日で戻ると言ってたから、もうサンフランシスコにいるかもしれない」
「ねえ、マリア。2日前といったら私たちがロサンゼルスから戻った日よ。ねえ、ジャック、秋葉さんはその日にニューヨークへ向かったの、サンフランシスコ空港から」
「そう、4時頃だったと思うよ。ブエナビスタで会う予定だったけど、途中で空港に変わったんだ。彼がニューヨークに行く用ができたとかで」
「そう、私たちは6時ごろだったかしら、サンフランシスコに着いたのは」

「もう少し早ければ会えたかもね。まあいいわ、キッドが来てるなら、これで一安心。さ、次へ行きましょう。ジュニア、この辺に詳しいのでしょう、私たちを案内しなさい。モントレーとサリナス。私たち「エデンの東」の後を辿っているの。まさこに見せてあげて頂戴、カルフォルニアの青春を。私たちは、まさこを元気にして日本へ帰さなければならないの。それがキッドとの約束なの。いいわね、あんたのことは内緒にしてあげるから、今日だけ私たちに付き合いなさい」
「分かったよ、マリア。今日一日はガールと一緒にいられるわけだから、望むところさ」
「あんた、まさこを気に入っているの」
「まあ、そんなところだ」
「だけどはっきり言っておくわ、まさこはあんたを毛嫌いしてるのよ。変な奴だって」
「マリア、そんなこと言わなくても…」モデルは少し慌てます。
「構わないよ、葉山にもよく言われたんだ。君は全く変な奴だって。ひいおじいさんは君みたいだったのかいって」
 ひいおじいさんとはジャックロンドンのことです。この男はあのジャックロンドンのひ孫に当たるのです。その生涯が伝説となったアメリカ最初の作家と言われる男の血を引く者だったのです。それを理由に、秋葉君とニコラスは、ジュニアとそれらしい愛称で呼んでいたのです。
 ボサボサの頭に深く落ち込んだ眼窩。ジャックは男臭い容貌で、確かにひいおじいさんに似ているところがあったのですが、一端口開くと街角にたむろする不良のような言葉遣いだったのです。それがモデルを苛つかせたのですが、マリアに対する時は少しそれが直っているようでした、とさ。