蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

沈黙(4)

別の一枚
 

 もう一枚あったこの絵は、鉛筆の下書きの上に直接、背景は色鉛筆で人物は顔面だけがパステルで塗られたもので完成していない。何が気に入らなかったのか、描きかけのままである。構図やポーズは「沈黙」と同じであるから同じ時のものだろうが、眠ってしまってそのままになったのだろうか。顔だけが塗られているため、例の渋谷ガングロギャルになっている。乱穂先生がガングロ女子高生の出現を予想したということでもあるまいに。さて、まさか…。

「私はこれで失礼します。日程がお決まりになりましたらこちらに連絡ください。」
 秋葉君は、名刺をテーブルに置き、襟を正しながら立ち上がりました。
「はい。分かりました」
 モデルはその紙片を手に取ります。そこには「私立探偵 秋葉鉄斎」と記されていました。小さく東京都新宿区…の住所もあります。
「ああ、それは小説の探偵さんの名前なのですが、その探偵さんは私がモデルなものですから、実生活でもその名を使っています。私自身、実名よりその名の方が通りが良くなってしまいました」
 秋葉君は少し照れたように頭に手をやりましたが、モデルはそれに気付かず、じっと名刺を見続けていました。秋葉君は何事もなかったかのように言葉を継ぎます。
「ああそうだ、ひとつ言い忘れたことがあります。先生は幾つかのペンネームをお持ちです。『飯坂殺人事件』の蜂谷八太郎はその一つです。作者の名前の違う本が幾つか行きますが、すべて乱穂先生のものですから、誤解をなさらないように。その中には、まだ世間に知られていないペンネームも含まれていますが、おおっぴらにはなさらないようお願いします。先生が秘密にしている訳ではないのですが、本人が知られていないことを楽しんでいる節がありますので、それを守るのは私の役目かなと考えているものですから。私は別の場所にいますが、連絡は直ぐに取れるようにしておきますので、いつでも決まったらお知らせください。それでは私はこれで失礼します」
 そう言うと秋葉君は颯爽と店を出ていきました。
 秋葉君がこれから向かう隠れ家は那須の山奥にあります。煙草屋旅館といって、その昔、那須地方から会津に葉たばこを運んだ人たちが常宿とした旅館です。山道のタバコロードのたったひとつの休息場所だったのです。コードウィルの『タバコロード』は余りにも有名ですが、日本には、高崎から八王子に繋がるシルクロードばかりではなく、タバコロードもあったのです。昔は昔、今は今といいますが、さて現在はどうなのでしょう。秋葉君の時代には確かにあったのです。


 ひとり残されたモデルは、秋葉君の残した僅かに煙る吸殻をそっと消しましたとさ。
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 このタバコ、不思議な葉っぱです。文明社会には例のコロンブスさんが持ち帰っています。評判の良くない二つの内の一つで、もう一つは性病でした。性病はあっという間に世界に広がったと言われますが、煙草は、はて、どのような経緯だったのでしょう。芥川の創作を久し振りに読んでみましょう。そしてその歴史を博物館で見てみましょう。


芥川龍之介「煙草と悪魔」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/163_15142.html
たばこと塩の博物館
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/index.html
 

愛は流れる

愛は流れる