蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

Edesu26、神の知らぬ情


 「草枕」の画家である主人公はなかなか絵が描けないでいる。不思議な女、那美が気になるが、彼女には一つだけ何かが欠けていた。 

 矢張御那美さんの顔が一番似合う様だ。然し何だか物足らない。物足らないとまでは気が付くが、どこが物足らないのかが、吾ながら不明である。従って自己の想像でいい加減に作り易(か)える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒? 怒りでは全然調和を破る。恨? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余りにも俗である。色々に考えた末、仕舞に漸くこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあわられておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情が女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。(「草枕夏目漱石

 従弟の久一を戦場に見送る最後の場面で、同じ列車に乗る亭主を偶然に見た那美に、主人公は「憐れ」を覚える。亭主は満州へ行くと別れに来ていた。ここで「草枕」は終わる。 

 那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかって見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ!それだ!それがでれば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画はこの咄嗟の際に成就した。(同)


水彩色鉛筆、クレヨン


「神の知らぬ情けには程遠い拙い絵になってしまったが、これでいい。神の知らぬ情を見ただけで、私は十分なのだ」
「しかしお主、見たのであれば巧拙に関わらず、ただ具現化するだけのことと思うが…、さてはお主…」
「まあ、まあ、よいではないか。見たと言っておるのだから、それはそれでよいではないか」


 初恋の花が散ると、もうすぐ神の知らぬ情けが実を結ぶ季節になる。


 森昌子「あの丘越えて、潮来花嫁さん、この世の花」
 http://youtu.be/k5hpG07wKvc
 (12.3)