蜂太郎日記

森昌子を聴きながら・・・

松葉の流れる町(21)

「壬生さん、そう言えば壬生さんも歌手を諦めた口ですね。私も学生の頃はブルーグラスのバンドをやっていて、プロとしてやりたかったのですが、下手だからそれは叶いませんでした。だから演歌にそれほど詳しい訳ではないのです。しかも若い頃は日本のどろどろした感覚が大嫌いで、だからブルーグラスに夢中になったのですが、それでも日本人だし、日本で生きている訳だから、好むと好まざるとに関わらずそうした音楽は小さい頃から耳に入ってきました。

 そんな私でも近頃は仕事柄、演歌とはなんだろうと考えることもあって、それは日本の風土を歌い、日本人の心象を表すからなんだろうと思うようになったのです。私には余り好きな感覚ではなかったのですが、一条から感じるそれらはそれほど不快ではないことに最近気付いたのです。私も少し年をとったのかもしれません。若い頃からつっぱってばかりいましたから。

 確かに気付いたのは最近なのですが、実はそうではなく、気がつかなっただけで、宇都宮の時はもうそうだったのかもしれません。そんな風に最近は考えたりもします。一条の歌が気になったのは、一条の歌と私の心の変化の微妙な進捗が偶然にも合致したことにあるのかもしれません。

 本をただせば私もただの日本人なのです。だから一条の歌を聴いた人がそれを演歌と言うなら、それはそれでいいのです。また一条自身が私は演歌歌手ですと名乗るなら、それもそれで構わないのです。一条の歌に感じる懐かしさは、ブルーグラスの背景にあるアメリカの空気を感じさせる時もあって、多分、それに日本の人たちは日本の風土を感じるのだろうって勝手に思っていて、だから彼女の歌を日本中に響かせたいと考えたりもするのです。こんなことを言う私は経営者としては失格なのかもしれませんが、経営者だって人間ですから、少しぐらい人間らしくやったっていいだろうと…」

 不規則に置かれたソファーやテーブルは席ごとに衝立や植物で区画され、隣の客を気遣う必要はなかった。それぞれの席を占める客は皆静かで、耳に障る声を上げる者もいない。席間を歩き回ウェイトレスの靴音が気になるばかりだった。嵌め殺しの窓に見えたが地下に窓がある筈はなく、その飾り窓のステンドグラスから鈍い光が洩れていた。その下のテーブルに置かれたガレ風のランプも仄かな光を震わせていた。
「私は約束がありますからこのまま出かけます。壬生さん、くれぐれも一条を頼みます」

 外に出ると激しい雨がビルを叩き路上に弾けていた。春の嵐は時を選ばない。正太郎は鞄から取り出した折りたたみ傘を広げて嵐の中に飛び出して行った。


 その頃につぐみは、深夜放送を聴いて手紙をくれたみどりに返事を書いた。何かにつけ手紙を書いてくれるみどりに、その都度ごとに返事を書けない申し訳なさがペンを重くした。それでも、書かねばならぬことがあるような気がしていた。 

 みどりちゃん、いつもお手紙ありがとう。受験勉強頑張ってますか。あなたは頑張りやさんだから大丈夫ですね。私も見習わなければいけませんね。最近、時々落ち込むことがあるのですが、みどりちゃんの手紙に励まされて歌っています。今の私には歌しかないのです。それなのに返事を書けなくてごめんね。


 みどりちゃん、一つだけ言っておきますが、達彦さんは熊のような人ではありません。どちらかと言えば痩せている方だと思います。一時、髪を伸ばし髭を生やしていた頃があって、あの時はそれを思い出し、少し太らせてみたら確かに熊だと思って笑ってしまいました。今は仕事で外国に行っていますが時々手紙をくれます。

 それと吾郎さんは相変わらずで、いつも冗談ばかりです。放送中は「夜のしじまを人知れず、今日も旅する人がいる」なんて言ってますけど、あれは五郎さんじゃないと思います。一人で旅する姿なんて似合わないもの。でもいい人だから、私も吾郎さんと話していると安心して余計なことまで話してしまいます。不思議な人です。


 それから、おじさんとおばさんはお元気ですか。あなたは一人っ子だから、おじさんもおばさんもあなたを心配していると思います。私にはできませんが、みどりちゃん、あなたを大事にしてくれるご両親への感謝も忘れないでね。

 泰山木も懐かしく思い出します。小さい頃、狭い枝を潜って無理に登ろうとしておじさんに叱られたのを良く覚えています。その木も随分大きくなったのでしょうね。綺麗な花を咲かせるのでしょうね。写真楽しみにまってます。

 受験勉強頑張ってね。私もワンマンショー目指して頑張ります。雅子

 少し前に届いたみどりの手紙 

 雅子ちゃん、ご無沙汰です。ラジオ聴きました。私、ながら族ですから深夜放送は欠かせないのです。


 雲井さんは相変わらずですけど、雅子ちゃんを前にする宇都宮の頃を思い出すのか、なんだか真面目になるように思います。私はあの時、司会者の真面目振りが印象的で、雲井さんがあんなに冗談を言う人だとは思っていなかったのですが、びっくりです。でも雅子ちゃんと話している時はあの頃のようで、少しは真面目に戻るような気がします。私も二人の話を聞くとスカウトツアーの事を思い出してしまいます。雅子ちゃんも雲井さんとは久し振りだったのではないですか。

 ところで雅子ちゃん、山男ってあの大田原さんのことですよね。中学生の頃よく話してくれたあの人でしょう。雅子ちゃんが療養所にいた頃に知り合ったというあの山男さんですよね。雅子ちゃんが嬉しそうに笑ったからピンときたわ。大田原さんって、熊みたいな人なんですか。雅子ちゃんのタイプとはちょっと違うような気もするけど…、蓼喰う虫も好き好きというからまあいいか。


 話は変わるけど雅子ちゃん、雲井さんの司会で絶対にワンマンショーをやってね。あなたならきっと実現できるはずです。私必ず観に行きます。その日を楽しみに待ってます。

 庭の泰山木が蕾を日ごとに大きくしています。真っ白な綺麗な花がもう直ぐ咲きます。咲いたら写真を送りますのでそれまでお待ちください。それではその時まで。みどり